『演説』 | |
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大学一回生の春 四月の初め 俺は地元のお隣の県、日本地図で言えば九州本土の最南端である鹿児島の国立大学に入学した。要するに物語の舞台は鹿児島県である。 年中火を吹いては灰を降らす桜島を薩摩地方、大隅地方などいくつかの地方が取り囲んで成り立つ大地。あの有名な鹿児島県である。 俺は世の中の悪事を正そうと志すような反骨精神なんて思ってはいないし、自らの置かれている退屈な人生にうんざりしているわけでもない。情熱的な性格ではなく、物事を遠くから冷めた目で眺めているつもりでいる、そんな面白味のない人間だと思う。しかしこれから始まる大学生活では俺の人間性を大きく変える出来事の数々が待ち受けていた。 ・ 大学の入学式は大学近辺にある体育館で開かれた。 体育館には新入生とその保護者や大学職員を含め二千超の人間が詰められている。そんな窮屈な環境で入学式を終えると、すぐさまキャンパスに移動し学部ごとの新入生ガイダンスへ続く。 開放されたのは午後三時過ぎ。大学入試後の怠惰な生活が長く続いていたせいであろう、たった三時間程度の拘束でえらく疲労してしまった。 部屋から退室し廊下を歩いているとき 「霧島!」 名前を呼ばれ振り返る。前方から川内が近づいてきている。 「ああ」俺は軽く会釈をする。 「一週間ぶりだな」彼は偉そうな口ぶりで言う。 川内、彼は先週入学前のオリエンテーションで出会った愛媛県出身の男だ。特別意気投合したわけでもないにも拘らず、妙に馴れ馴れしい男だ。 「相変わらず無愛想な顔してるよな」 会って間もなく、なんて無礼な男だろうか。何か言い返す前に川内が廊下の先を指さしながら「ほら、賑わってるぜ」と言った。 「うわ」中庭へ出ると人の波ができていた。 ガイダンスが始まる前まで閑散としていた中庭は、各々のサークル勧誘のために集まった在学生とガイダンスを終えた新入生達で埋め尽くされていた。 ひたすらにビラを配る者、楽器やボール、ユニフォームなどを用いサークルの特色を自己主張する者と様々で、また新入生側も一語一句聞き漏らすまいという姿勢でこの騒ぎに臨む者が多い印象を受ける。 「みんな妙に必死じゃないか」 「それはそうだろ。サークルは大学生活を満喫するための一番の近道だろ、必死になるって」彼は平然と言う。 「学業に励んでこその大学生活だろ」 「遊んでこその大学生活だよ」 よく観察してみると、誰彼なく勧誘するものや、新入生のスーツの着こなし方や本人の風貌、醸し出す雰囲気からこいつはお仲間だと汲み取っているのだろうか、新入生を選別し勧誘しているものも多いようだ。 当面サークルに入会する予定のない俺は川内にその旨を伝えると「俺もそうなんだ」といい後をついてくる。 自分自身のつかみ所のなさからか、執拗な勧誘も受けずに人波を掻き分け、校門が見えてきた時、「あなた達、こんな活動に興味はない?」日傘をさした女性二人組に声をかけられる。 「あ、どうも」川内がビラを受け取る 「おい」さっさとお暇するつもりだというのに、俺も仕方なく立ち止まる。 彼の持つビラを除くと見出しには、ボランティア活動を通した大手企業とのコネクション形成と書かれている。 「大学生活を有意義にするためにひたすらサークルを楽しむのもいいけど、将来の事も考えておくべきだよ」背の高い方の女性が言う。 「私たちの先輩たちが築いてきたコネクションの恩恵を受けてみない?」交代で背の低い方が言う。 「難しいことはよく分からないですよ」川内が言う。一方、俺は少し興味が湧いていた。 「ビラにも書いてあるけど」「月に一、二回私たちボランティアサークルとつながりのある企業へのボランティア活動をしててね。ボランティアを通して実績と企業への信頼を得られるのよ」「大事なのは就活の面接だけじゃない、勝負はもう始まってるのよ」彼女たちは交互に話す。俺は二人の掛け合いをみて次第に心を掴まれつつあった。 「活動拠点はどこで?」気づけば俺は質問していた。 「あれ、霧島どうしたの?」川内が冷かしてくる。 「ビラに書いてあるとおり下荒田の交流ホールで。」「次の集会は週末にあるから、待ってるよ。」 女性たちは去っていき、俺たちはひとまずその場に留まった。 「興味持っちゃったの?気が変わるのが早くない」 「うるさいな、川内だってコネとか経歴の大切さくらい分かるだろ」 「俺はボランティア活動なんてごめんだぜ、先の金より今の金だ。ボランティアよりバイトだよ、バイト」 「さっきの人も言ってただろ、今のうちからもっと先を見据えないとダメだって」 川内は納得できない様子で「そうかもねえ」と言った。 「先が見えてないのはあなたの方だと思うけど」 突然背後から声をかけられ振り向くと以前どこかで見たような、綺麗な女性が立っている。 「どういうことですか」俺は思わず敬語になる。 「まだまだ世間知らずだね」彼女は凍り付いたかのように表情一つ変えずに言った。 「なんだよそれ」あからさまな侮蔑の言葉に腹を立ててしまい語気を強めてしまう。 「宗教の勧誘」彼女の言葉を聞き俺と川内は顔を見合わせた。 遠いようなごく最近か分からぬ記憶が蘇る。とある休日、実家の玄関先に小冊子を持って現れた婦人の姿。「最近、悩み事があるのでは?」そう言い小冊子を手渡される。{めざめましょう}とタイトルの書かれた宗教勧誘のための小冊子だ。 これと同じだというのか 「おいおい、まじかよ」川内が言う。 「それでも、興味が増したならこれ以上言うことはないけれど」と辛辣な言葉を言う。 俺は返す言葉が見つからず、ビラを今すぐにでも破り捨ててやりたい気分になる。 それはなんだか悔しいのでビラを折りたたみジャケットのポケットに入れた。 「勉強になったよ」そう言って俺は精一杯のつよがりをみせた。 「よかったな。霧島お礼いっとけよ」少し癪だったが、川内の言う通りだと思い、助かったよ。と一言詫びた。 「ところで、あんた指宿だったっけ」川内が言う。 川内の言葉で俺は彼女の事を思い出した。彼女くっきりとした目鼻立ちにマネキンのような輪郭で、読者モデルをしていると紹介されても納得できる顔立ちとシルエットをしており、入学前のオリエンテーションの時点で新入生たちから注目を浴び、連絡先教えてなどと言い寄られていた。 「あの時はあんたのまわりに近寄れなかったけどこうしてみるとほんと美人だな、よくできてるというか」 川内が下手な褒め言葉をいうと、彼女は口角をわずかに挙げ「それ褒めてるの?一応、ありがとう」と、まんざらでもない様子で返事をした。 「霧島もなんか言えよ、もしかして不機嫌?」 やや不機嫌になっていたのだが、苦し紛れに「そんなわけないだろ」と言うと、「やっぱり怒ってるじゃんか」と茶化された。「だから、怒ってないって」声を少し大きくして言うと。指宿にクスと笑われ、思わず赤面してしまう。 その後も続いた川内の冷やかしに対して俺はただ頷くだけでやり過ごした。俺の負けで良いから許してくれ。 「こいつ面白いよな」川内が言うと「面白い」と指宿も同意した。 その時 「いやあ、みなさまお待たせしました。新入生代表、隼人の挨拶です」 ・ マイクを通して大音量になった低い声がキャンパスの中庭に響き、会場のざわめきが一瞬、止まった。 訪れた静寂はすぐに終わり、野次と怒号が飛び交う。 なんだよそれ、そんなの聞いてないぞ、面白くない、などの罵声が聞こえる。 声の元を探すと中庭のちょうど中心あたりに立っている小太りの男を見つけその脇にはラジカセが置いてあった。同じく小太りの男を見つけた学生たちは彼を危険人物とみなし一定の距離を保ちながら、彼に詰め寄り罵詈雑言を浴びせている。 「今日はおめでたい日だということは承知なのですが、一つ決意表明をしておきたいのですよ」 彼は不機嫌そうに話し始める。 「僕が入学前に勧誘されて体験入部していたサークルはね、ボランティアを通して世の中に自分の名を知らしめようと目論むサークルなんですよ。しかしですね、そのサークル、実は新興宗教のサークルだったんですよ。僕は危うく神様に自分の名前を広めるところだったんですね」 「誰かさんと同じだな」川内がニヤつきながらこちらを見る。 「途中で気づいたとはいえ、せっかくの縁なのでサークルの会合に参加してみると、薩摩川内市の原発再稼働問題について話しているんですよ。ボランティアなのか宗教団体なのか、反原発組織なのかよくわからないサークルでね、原発廃絶について意見を交えてるんですよ。来月に薩摩川内市で開催されるらしい原発推進派と反対派の総会に向けて、やれ放射能漏れや環境汚染のリスクだとか言ってね、推進派のみなさんに向ける意見を考えているんですよ。でもね、それじゃだめなんですよ、推進派と反対派のみなさんが漠然とした事を言い合っているうちにね、中立の立場を気取ってタイミングを伺う議会のみなさんはいつの間にか再稼働を進めてしまうんですよ」 意味分かんない、なんの話だ、と野次が飛ぶ。俺も彼が話している事の意味が分からないとまでは言わないが、何故この場でほとんど演説に近い事をしているのか理解できなかった。 「それと同じでね、意識の高い学生が良くて、低い学生が悪いだなんてそんな漠然とした話を信じて生活していても、最後にはただのありふれた一般人になるだけなんですよ。」 筋が通っているのか通ってないのかよくわからない話だが、ここにいる学生をすべてを否定しているように聞こえる。そして、そう受け取った人が多いのだろう、野次は次第に強くなる。 「結局、最初に話した決意表明は何かと言いますと、ボランティアを通した社会活動だ、意識高い系だなんて漠然とした事じゃなくてね、僕たち大志を抱かなきゃいけないんですよ」 彼の言っていることも十分漠然としている、と思った。 「大志ですよ。僕が抱いている大志を表明しますよ。そう、僕はやってやりますよ」 「なにをやるんだ」と隣に居た川内が野次を飛ばした。 彼はわざとらしく深く息を吸う。 「日本の首都を鹿児島に移してやるんですよ!」 小太りの男は委員会から注意を受けたが、そこで演奏している路上ライブと何が違うのかと反論したことで、マイクの音量が小さくなっただけで済み、彼の演説は続いていた。 「みなさんがご存知の通り橋下徹は政界から引退したんですよ」 「よく喋るなあ」川内が言った。 「本当だよ、原稿を読むでもなく大した奴だよ」 「それをずっと聞いている俺達もどうだろう」 「彼のどこかに惹かれるものがあるのかもしれない」 怖いもの見たさか、本当に彼に惹かれてしまったのか俺達は30分近く、彼の演説を聞き続けていた。マイクの音量が小さくなったことで野次を飛ばす者はいなくなっていた。 「橋下徹の大志を継ぐのは、いま自由に動ける僕達以外にいないでしょう。まずは鹿児島県を鹿児島都に変えることから始めるんですよ」 「ほんとにスケールの大きいことばかり言ってるな」川内が笑いながら言った。 「彼は本気なのか、というか何に怒ってるんだろうか」 「あれ、怒ってるのか?」 「そう見えるけど」 「色々言ってきましてけどとにかく僕は純粋な新入生を騙した人達、これから四年間は貴方達のことを恨み続けますよ」 ブハッと川内が吹き出し、「結局それが言いたかったのかよ」と言った。 やたらと原発や大志、橋下元知事の意思だのと話を広げた割には結局騙されたことに対する恨みの告発という器の小さい話に収束してしまった。 「やっぱりお前に似てるよあいつ」 「どこが?」 「宗教サークルに騙されて怒ってるとことか」 「その話は今日限りにしてくれよ」そう言うと川内は再びブハッと笑った。 最後まで俺たちの隣にいた指宿をみると、俺達の話は全く聞いていないようで後片付けをしている小太りの男を見つめながら、俺達の前では初めて見せる楽しそうな顔で微笑んでいた。 |
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