『コペルニクス』

 天文館、文化通りに建つとあるビル。その地下二階のダイニングバー『コペルニクス』に来た俺達は、常夜灯のように薄暗いオレンジ色の照明に照らされ、艶のあるソファに座っている。隣にいるのは矢張り川内だ。

「隼人はともかく」

 先程、節操のない演説により途中退場を食らった隼人を一瞥し、その隣へ目を向ける。

「ともかく、とは何ですか」隼人がすかさず言う。確かに入学式、今夜の新歓コンパと散々な功績を残してきた隼人に対して相応しくない言葉ではあったが、

「なんで指宿も居るんだよ」一先ず川内に問いかける。

「俺が知るかよ」川内の失礼極まりない発言に対して、指宿は例の如く表情一つ変えず注文したモヒートを啜っている。

 川内から道中に聞いた話で、彼は入学式以来、隼人に興味を持ちコンタクトを取り何度か交流しており、隼人が同学部であることを川内が知っていたのもその訳だ。そして俺のことを隼人に紹介し、俺は隼人に興味を持たれていたらしい。

 かくいう俺も隼人は気にかかる人物であったが、指宿が参加することについては全く聞かされていなかった。

 入学式の時のように偶然出くわした訳ではなく、指宿は何かの意図がありここにいると分かると途端に意識してしまい、俺と川内は委縮しテーブル上のカクテルに手を付けることすらできなかった。そして何故か隼人も沈黙している。

 一言で言えば空気が悪い。

 そんな事は気にも留めず指宿は無言でモヒートを嗜み続ける。そんな何気ない仕草さえも様になり、まるでカクテルの広告みたいだ。

 隼人が腕時計を覗き、指宿がグラスをテーブルに置いた丁度その時。木目調の天井に備え付けられた古ぼけたスピーカーから聞き覚えのあるドラム音とサックスの旋律が流れ、沈黙していた隼人が口を開いた。

「ではみなさんお待たせしました、これより楽しい二次会の始まりですよ」

 隼人は先程までの陰気な態度とは打って変わって、普段の快活なトーンで話し始めた。

「なんで今まで待たせたんだよ、というか待たされてたのかよ」

「この店はですね、二十三時になるとソニーロリンズが流れるんですよ」隼人が言い、スピーカーから流れる曲名を思い出した。

「セントトーマスを待ってたのか?」

「いやこの前はチューンアップでした。」何故か隼人は誇らしげである。

「なんの話だよ」たまらず川内が言う。

「ソニーロリンズ、ジャズ奏者だよ。というか何故待つ必要があるんだ?」

「こういうのはね、ムードが大切なんですよ。」場の空気を顧みず散々野次を浴びてきた男が言える事かと思ったが、口を噤んだ。

「ここに集まってもらった理由ですけどね、霧島はある共通点に気づいていますか?」

 思い当たる」ことが一つあった。

「まさかとは思うけど、苗字じゃないよな」俺が言うと、「霧島、鋭い」何故か、指宿が答える。

「そう、霧島、川内、指宿、そして自分が隼人で。同学部に鹿児島の地名を持つ人物が四人も揃うことなんて滅多にありませんよ。こんな偶然、絶対何か意味があると思うじゃないですか。」

「意味なんてないと思う」俺の否定に構わず隼人は話し続ける。

「今日は決起集会ですよ。何か大きな事をやってやろうというわけではないですけど、自然と大きな何かが起こるそんな気がするんです」

 これまで何度か交流をもち一番免疫を持っているはずの川内でさえ呆気にとられ、彼らしくもなく、顔を歪め沈黙している。

「指宿は知ってて来たのか」そう聞くと彼女は「うん」と頷く。

 俺は少し呆れたが、理由は知らなかったにせよ隼人の招集だと聞きノコノコとやってきた自分もいかがなものだろうか。

「それにしても、ジャズの話と言い、噂通り霧島は話が分かる男ですな」

「だろ」川内が相槌を打った。勝手なことを言うな。

「良い友達になれそうです。」隼人は満足そうに微笑む。

 店内に流れていたのはソニーロリンズの『サキソフォン・コロッサス』通称『サキコロ』というアルバムで、先述した『セントトーマス』から始まり、四曲目の『モリタート』が流れ出した頃、つまり隼人が話し始めて大体二十分経った頃。

 隼人はひと通り話し終え流石に喉が枯れたのか、目の前に置かれたカクテルに手を伸ばした時、川内が立ち上がり言った。

「じゃあそろそろ始めようぜ」

 彼はそのまま席の側に設置されているダーツ台へ歩み寄る。そのダーツ台は本体に備え付けられた液晶や照明から鮮やかな光を放ち、薄暗い店内では一際目立っており、レトロな内装に加えてジャズの流れている店内からは浮いた存在だと思った。

 隼人と指宿は川内に従い立ち上がり、俺も渋々立ち上がる。

「今更だけど、なんでダーツだよ」

「今どきの大学生といえばダーツっしょ」川内は当然だろ、という顔をする。腑に落ちない理由だ。

 いつの間にか川内が本体に硬貨を入れたようで、本体のスピーカーから大音量の効果音が流れ、天井から流れるジャズを押し退けた。すまないソニーロリンズ。

「ここは百円入れるだけで四人も楽しめるんだよ」川内が自慢げに言い、隼人が「川内に教えたのは僕ですけど」とふて腐れたように言う。

 川内の話によると利用料はダーツ台のオーナーが設定できるらしく、一人が遊ぶには1クレジットが必要で、相場としては百円で1クレジット。しかし、この店は百円で4クレジット補充されるため、四人で遊べるとのことでかなり良心的な料金設定らしい。

「俺、ダーツ初めてだけど」そう言うと、ブハと川内が笑う。何度目だ、このやり取りは。

「私も初めて」指宿が言う。すると川内がやれやれという顔をして説明を始める。

 まずは握り方のレクチャーから始まり、投げ方、点数の説明、持ち矢の数、点数については少しややこしかったが初心者はとりあえず中心を狙えとのことだった。

「ちょっと雑じゃない?」指宿が口を挟む。うるさい、と川内が言うと、彼女はわざとらしく肩をすくめた。

「じゃあ投げますよ」隼人はスローラインに不格好な姿勢で立っており、そのまま矢を投げた。

「あ、勝手に始めんなよ」川内が言うが、時既に遅く、投げた矢が的に命中した後だ。隼人の矢は14点のエリアに刺さっている。そのまま残りの二本を投げ終え合計27得点、それが良いのか悪いのか分からないが、川内は小馬鹿にした様子を見せる。

「初めての人が二人いるのでカウントアップですよ」

「カウント、なんだって?」

「カウントアップ、ゲームのルールですよ。ただひたすら高得点を狙って一人8ラウンド投げるんですよ。あ、一ラウンドは川内も言ってたけど一人三投なので、合計24回投げられるわけですね。」

「同点だったらどうなるんだ?延長?」

「それは、同点になったことがないので分かりません」隼人が説明を終えた頃、川内が三投を終えていた。

 液晶には合計106点の表示。容赦なしか。

「ほら、次は霧島の番だ」

 川内に促され、台の立ち位置へ向かう。位置へつくと、説明されたままの握りと姿勢を作り、見様見真似、思うがままに投げた。放った矢は的の中心の赤いエリアに刺さり、それと同時に銃声のような効果音がスピーカーから流れる。液晶には50点の表示。

「おお、ブルですね」隼人が興奮した様子で言う。

「ブル?」

「的の中心の赤いエリアのことですよ、得点が2倍から3倍以上になるダブルやトリプルを除けば最高得点ですね」

「初めてでこれって凄くない?」気分が高揚し、つい若者言葉が出る。なるほど確かにこれは楽しいかもしれない。

「まあまあかな」水を差すように川内が言った。

 その後も次々と投げていき、順位は上から川内、俺、指宿、隼人の結果だった。川内は常に一ラウンド100点以上を超え、指宿はダーツを投げる動作さえも様になり思わず見惚れる。しかし。

「隼人は本当に経験者?」俺がからかうように皮肉を言うと、「調子に乗らない方がいいですよ」と隼人が言った。隼人は8ラウンドの中で、何度か矢を的から外す場面がみられており、俺と指宿も一度外したが、彼はその比ではなかった。

「落ちた矢が可愛そうだった」指宿も皮肉を言う。

「ええい、次いきますよ」隼人がぽんぽんと手を叩く。

 今度は隼人が筐体に硬貨を入れ、続けて操作を行う。

「今回は、ゼロワンです」隼人の説明によると、ゼロワン(01)とは予め設定された数字から、獲得した点数分の数字を減らしていき、先に設定された数字をゼロにしたものの上がりというルールだ。

「ハンデです。霧島からどうぞ」隼人がニヤニヤしながら言う。何故か川内もにやけている。

 今回の設定は501点らしい。とりあえず、高得点を狙い数字を減らしていく。皆も同様に淡々と数字を減らしていった。皆の数字は大差なく進み、残り43で俺の番が回ってくる。

「ブルを取れば一発だな」そう言ったとき、背後に立つ隼人がフンと鼻で笑う。俺は構わず矢を投げる。矢は20点に刺さる。二投目、同じく20点のエリアへ。あと3点以上とれば上がりだ。

「いけるな」そう呟き三本目の矢を投げ、12のエリアに刺さる。思わず、よしっ、と声が出る。すると液晶にバーストと英字が浮かび背景が崩れる演出が表示され、同時に何かが崩れる効果音が流れる。

「何だ今の?」俺が言うと、隼人と川内がくすくすと笑う。

「言い忘れてましたが、ゼロワンは数字を丁度ゼロにしないと上がれないんですよ」

「どういうことだ」

「今回の場合、残り3だったので、3点を取れば霧島は12点を取ってしまったので、バースト。つまり次の番から丁度ゼロを目指してもう一度やり直しですよ。」

「そういうことは最初に言ってくれよ、というか絶対わざと説明しなかっただろ」そう言うと隼人は目を背ける。

「卑怯者」

「卑怯で結構」隼人が悪代官のような笑みを浮かべ、川内がブハハと笑う。

「次、私の番」液晶には48の数字が浮かんでいる。指宿よ、俺の屍を越えていけ。

「そういえばさ、指宿がさっき言ってたアレなんだったの」川内が意味ありげにアレと強調する。

「アレ?」

「ほら超能力がどうこう」

「超能力ってなんですか」

 隼人は遅刻したため、あの場に居合わせなかったのだ。指宿が熱帯雨林に氷河期をもたらしたあの瞬間に。それにしても、触れていいものなのか。

「まあユーモアのつもりだったのかなって」

「いや、本当よ」指宿は当然でしょ、という顔をする。

 当然信じる事はできず、というか信じる信じない以前の話だ。妙に得意気な態度をとる彼女に対する返事を俺達がみつけられずにいると「だから超能力ってなんですか」隼人は俺達の心理など意に介さずに痺れを切らした様子で言う。

「やってみようか」指宿が首を傾げる。

「ぜひとも」隼人が言う。大した奴だ。

 指宿は掌にダーツの矢を乗せる。

「まじかよ」川内が呆れた様子で言う。

 しかし次の瞬間、掌の上のダーツが小刻み揺れ始め、ふわりと宙に浮かび上がった。矢は掌から約30cm上方で停止する。俺達は思わずソファから立ち上がる。矢はゆらゆらと的に向かって動き始め、現状を把握できないまま矢を顔で追う。

 矢は微妙に孤を描きつつ、的に命中した。16のトリプルのエリア、つまり48点。

 液晶にフィニッシュの文字が浮かび、ファンファーレが鳴る。

 指宿は振り返り、どんなもんだい、とでも言うかのように微笑む。

「まじかよ」川内が先程とはまったく違ったニュアンスで言った。隼人は、フンと納得出来ない様子で鼻を鳴らした。

「手品?」とは思えないが一応聞いた。

「すげえじゃん、何でも動かせたり、浮かせたり出来るのか?」川内は、なんとなく順応したのか指宿に質問した。

「建物とか大きすぎるのは無理だけど、まあ大概の物は」

「じゃあ今度は僕の時計を浮かせてみてくださいよ」隼人は未だ半信半疑で、テーブルの上に腕時計を置いた。

「ダメなの」指宿が言う。「三年に一度」

「は?」俺達三人は口を揃えて言った。

「三年に一度しか超能力は使えないんだよね」指宿は少し申し訳無さそうに言う。なんだそれは。「なんだそりゃ」川内が言った。

「中途半端だ」と俺が言うと、隼人は再びフンと鼻を鳴らした。

 

 こうして夜は更けていく。真偽不明の許嫁を持つ川内に、容姿端麗超能力者の指宿、鹿児島都知事を目指す自由奔放な隼人が集まった今夜は、これから始まる華やかな大学生活の幕開けだった、かもしれない。

 

 

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