『警告』

 瞬く間に五月末日。

 入学直前に父親が話していた大学生活は一番短いが一番楽しいという言葉を思い出す。

 一番楽しいという言葉には同意しかねる。

  大学近辺の居酒屋でのこと。

「メヒカリの首を落とすとは何事だ

 俺は御品書に載っていた、我らが宮崎県産『メヒカリの唐揚げ』を注文した。

 同席している川内と隼人の会話を聞き流し、真珠のような瞳を持ったメヒカリの流線型のフォルムを脳内に描きながら、待ち焦がれること約10分。従業員が薄ら笑みを見せながら運ばれてきた皿の上のメヒカリ達には、なかった。

 何が?

 首が。

「何いってんの」川内が言う。

「俺は今、鹿児島の県民性を疑っている」自らが冷静さを失っていることを自覚しながら話し続ける。

「鹿児島を愚弄するつもりですか」隼人が不愉快そうに言う。

「メヒカリの首を落とすなんて、西郷隆盛像の首を落として鹿児島県庁に差し出すことと同じだと言っても過言じゃないんだよ」

「よくわかりませんが」隼人は呆気にとられた顔をする。

「隼人に引かれたらお終いだよ」川内が淡白に言う。 こんな感じの大学生活。父親の一番楽しいという言葉にはやはり同意できない。

 勘違いすることのないように言っておくが、俺の私生活は彼らと夜遊びに耽っているだけではない。

 敢えて近況を報告するならば、気になる映画を観に行ったり、県庁の見学をしてみたりとなどそれなりに充実しているつもりだ。

「しかし、今日は何でまたこんな遅い時間まで」

  こんな時間というのは、隼人は最近21時をすぎれば用事があると言い帰ることが多かったが今日は随分遅くまで居座っている。 

「指宿もいないし」彼女もまたこの集いの常連になっていたが、この日は欠席している。

「今日はね、男達だけの打ち合わせですよ」隼人が言う。

「何の?」

「合コンだよ」川内が答える。

「合コンとか参加したことないんだけど」

「霧島は何でも初めてなんだな」川内は嘲笑うかのように言う。

「相手は短大生ですよ」

「なんと四人組の短大生だ」

「四人?じゃあこっちは誰かあと一人くるのか」

「ほんとに初めてなんだな。几帳面に人数をあわせて合コン開くことなんて滅多にないぜ、今回は四対三だよ」全く知らなかった。

「流石は川内、相当場数を踏んでしてきたとみえる」何だか悔しいので皮肉を込めて言ったのだが、「まあな」と全く響いてない様子で彼は誇らしげに言う。

「明後日が本番だから、とりあえず明日は散髪」

「そこまでするのか」

「合コンに限らず、何でも第一印象が大事だからな」 

 川内の肩まで届きそうな長髪はそんなに女性受けがいいのかと疑問に思った。

「隼人の言うとおりですよ、霧島」 他人事のように言う隼人だったが、明日は隼人も髪を切る事になるのだろうと、彼のボサボサした頭を見て直感した。

 翌日、天気は快晴。相変わらず桜島は休むことを知らず本日も灰を降らせ続けている。

 今年の噴火回数は既に千回を超え、ニュースによれば観測史上最高記録を更新する勢いらしい。他所者への手厚い歓迎だ。

「どうして平気なんだ?」

「何の事ですか?」

「こんなに灰が降ってるのに、皆それに怯むことなく過ごしてるじゃないか」俺は通りを歩く人々を示して言う。

「島津の血ですよ」

 彼は降り注ぐ灰の中を歩く人々を、弓矢や銃弾の飛び交う戦場の中を駆け抜ける島津義弘公に例えたのだろう。などと納得することはできず、「意味が分からん」と言葉を返す。

「それにしても川内は遅いですね、先に入ってしまいましょうか」

 俺達は川内に指示された美容室の前で待ちぼうけをくらっており、隼人は企画者の遅刻に苛立ちを感じ始めている。

「俺、美容室とか初めてなんだけど」

「奇遇ですね、僕もです」

 ここにもし川内がいれば、例のごとく嘲笑されていたところだろうが、今回は隼人と意気投合してしまった。

「ところでさ」気を紛らわすため話を続ける。「最近、腕に湿布貼ってるけどどうしたの?」 彼は湿布の貼られた右の上腕を擦りながら「名誉の負傷ですよ」彼は照れ臭そうに言う。

 また妙なことを言い始めたなと思っていると、「待たせたな」と言いながら川内が現れた。

「遅いですよ」 「10分遅刻だ」

「そういうなって。じゃあ早速入ろうぜ」彼は全く悪びれる様子はなく、場を仕切り始める。

  川内が美容室の扉を開け、俺達は渋々川内の後に続く。 凝った外観に反して店内は至ってシンプルで、わずかな客席と何らかの機械。そしてパキラが1鉢置いてある程度で、とくべつ凝ったインテリアもなく落ち着いた内装だった。

  川内は女店員と何やら親しげに話している。 彼が鹿児島に来てから二か月。その短期間で店員仲が深まるほど何度も通うものなのか。

 俺は別の店員に案内され洗髪を済ませると、「お待たせしました、こちらの席へどうぞ」川内と話していた女店員の立つ席へ案内される。

「楽しみですね」女店員が言う。

「え?」

「明日、合コンらしいですね。初めての」

 川内め、余計なことを。

「美容室も初めてみたいで」

「どうしてそれを」

 川内にはその事を話した覚えはなく思わず声が出た。

 すると背後からゲラゲラと川内の笑い声が聞こえ、「やっぱりか」と彼は言う。どうやら嵌められたらしい。

 鏡に写る女店員は状況が飲み込めず首を傾げている。

「川内君から聞いたけど、こんな感じに仕上げればいいのかな」

  彼女が差し出した雑誌には、最近漫画の実写映画などで活躍している芸能人の写真が載っている。何から何まで勝手なことを。

「顔の素材は似てるかも。」

「だろ、絶対似合うって。元はいいんだよ、霧島」川内が口を挟む。

「いや、それはない」いくらなんでも、褒めすぎだ。 しかし2人の勧めに押し切られ、結局川内の注文通りにカットが始まった。

「ではこちらの席へどうぞ」 今度は隼人が案内される。担当はEXILEのボーカルを彷彿とさせる坊主頭で側頭部に剃り込みの入った髪型をしている。

「今日はどのようになさいましょう」

 サービス業なので当然だが、外見に見合わず丁寧な接客だ。

 これまで沈黙を守っていた隼人が口を開く。

「お兄さんのようにして下さい」

 お兄さん、とは誰のことだ。おそらくEXILE風の店員も同じことを考えたのだろう一瞬沈黙する。そして店員は自分の髪型を指しているのだと気づき「分かりました」と微笑む。

 川内の「マジかよ」という独り言が聞こえる。女店員も驚いた様子で「へえー」と言った。

「変ですかね、その髪型」彼は例のごとく不機嫌そうに言う。

「いいえ、自慢の髪型ですから。それにお客様にもきっとお似合いになりますよ」 店員は落ち着いた様子で言う。

「じゃあお願いします」

「今時この芸能人みたいにしてくれって注文されるのも珍しいけど、店員みたいにしてくれっていう人はもっと珍しいかも」女店員が言う。

「やっぱりそうですか」

「私は初めて見た。それを少しも物怖じせずに言えるなんて大した人だと思う」

  客の前で店員がこんな話をするのは如何なものかとも思ったが、確かに彼女の言うとおり、隼人は大した奴なのである。

  隼人が注文を終え、口を閉じると店内は静まり返る。何となく気まずくなってしまい俺は話題を探す。

「レディオヘッド、店長の趣味ですか」とりあえず店内に流れている音楽について質問する。

「いや」鏡に映る女店員は嬉しそうな顔をして「これは私の趣味、店員の士気を上げるための店長の粋な計らいでね、君もレディオヘッド好きなの?」

 そこからレディオヘッドの話題になり、少しずつ打ち解け合い最後まで会話が途切れることはなかった。

 肝心な髪の方は普段利用している理容室の倍以上料金を払っただけあり、中々の仕上がりだった。

 少し遅れて隼人の散髪も終了した。

「かっこいいですか」彼は照れくさそうに尋ねる。 決して恰好よくはないが、「似合っているよ」と言った。

  隼人のイメージはガラリと変わってしまったが、体育会系のような頭は彼の大柄な体型に合っており、よく似合っていると思った。 隣に立つEXILE風の店員も立派に育った我が子をみつめるような、恍惚とした顔をしている。

 席を立つと女店員に名刺を渡される。美容室では名刺まで渡すとは。カルチャーショックを感じてばかりだ。

 彼女は「ご贔屓に」と言いニンマリする。 花柄の名刺の中央には【宮崎】と書かれている。隼人には仲間に入れてもらえないなと思った。しかし、彼女と音楽の話で盛り上がりながら髪を整えてもらった時間は得も言えぬ充実したもので、これから先もこの店に通うことになるだろう。

 そして2ヶ月後。店に通う度に俺と彼女の距離は縮まっており、いつの間にか恋仲になっていた。

 なんていう妄想を膨らませていた。

 その夜、呼び出しがあり天文館にある中華料理店へ向かった。そこはワンコインで中華定食に惣菜バイキングまで楽しむことの出来る学生の懐に優しい店だ。

「髪切ったんだ」指宿は相変わらず愛想のない口ぶりで言った。

 俺を呼び出したのは、なんと博多美女、指宿だった。

「似合ってるかな」妙齢の女性と2人きりで食事など初めての俺は自然に振る舞う様に取り繕う。

「似合ってるけど」

「けど?」

「流行りを意識しすぎかも」

  指宿の批判は宮崎さんを侮辱された気がして少し不服に思ったが、彼女は川内の注文を忠実にこなしたにすぎないので、僅かな怒りの矛先は川内に向けることにした。

「明日、合コンするんだ?」指宿が言う。

 予期せぬ言葉に対し平静を取り繕うため一先ず頷く。

 何故それを知っているのだ。と彼女に尋ねる前に「田守に聞いたんだけど。川内が主催だとか」と指宿は言った。

「それを聞くために呼んだのか」俺は彼女の意図が汲み取れなかった。指宿が合コン相手へ嫉妬の炎を燃やしているとは思えない。

 すると彼女は首を横に振り「川内の悪い噂が広まってるみたい。なにがしの女に手を出したとか、女をあちこちで泣かせてるとか。だから川内が主催のイベントには注意した方がいいよ」

 確かに川内の女性関係における悪評は俺も以前から耳にしており、いつか痛い目を見る前に注意をすべきだと思っていた。

「川内が誰かに報復されるかもしれないってこと?」

「分からないけど。川内はいつか酷い目に合うと思う。それに巻き込まれないように一応気をつけた方がいいかもね。」

 彼女の警告より、他人事のような物言いが気になったが、そこが指宿らしさでもある。

「もしかして隼人が心配?」

「なにそれ」

「いや、忠告ありがとう。心に留めるよ」

  その後しばらく取り留めのない話が続き、店を出た。

「ねえ霧島、もうちょっと付き合わない」

「え?」付き合うという言葉に過剰な反応をしてしまい、指宿は小さく首を傾げる。

「この間コペルニクスで話してた音楽。なんて言ったっけ?」

「ああ隼人と話してた。ソニー・ロリンズだね」

「そうそれ。買いに行きたいんだけど、どれを買えばいいかよく分からないし」

「この近くなら、表参道にあるよね」表参道とは勿論、天文館の地名である。

「どこでもいいよ」

  やはり隼人の事が気になるんじゃないのかと詮索したくなるが、俺と指宿はまだそんなやり取りのできる関係でもないと思いやめておいた。

 

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