『真夏の夜の合気道』

「君たち、久しぶりだね」聞き覚えのある声に、三人揃って振り返る。

 アロハシャツにパーマを当てられ以前の風貌と大きく変わっていたが視線の先に立つ人物は忘れもしない、鈴木であった。

 俺と川内は望まぬ再会に言葉を失う中、隼人は少しも臆することなく鈴木を睨み付け、「何かようですか」と言葉を返す。

「そんなに怖い顔しないでよ。川内君と霧島君だったかな?二人とも、そんなに緊張しないでいいからさ」

「なんだと?」鈴木の言葉で川内に火が付いたのか、彼は強く言った。

「子供にその店はまだ早いんじゃないかな。と思って忠告しに来たんだよ」鈴木は相変わらず見下した言葉を使う。

「負け犬は帰れよ」川内は負けずと食い下がる。

「おい川内やめとけって」俺は慌てて川内の肩に手を置く。

「そんな事を言いに来たんですか」

 鈴木は首を横に振ると、口を開く。

「君たちにダーツで負けた後、川内君を陥れるように頼んできた女の子に呆れられちゃってさ」

「なんの話だよ」川内が言った。

「女の子たちに暴力はやめてくれって、お願いされてたけど。今は、もういいよね」彼はそういうとアロハシャツの袖を捲る。

「あれから、どうしても悔しくなってね。今度会った時は仕返しをしてあげようと思ったんだけど、まさか都合よく三人とも揃ってくれてるなんてね」鈴木が目を剥きながら言う。

 そんな彼の姿から得体の知れない狂気を感じ、思わず後ずさりしてしまう。

「こいつおかしいんじゃないか?」川内もその雰囲気を感じ取ったのか、慌てた様子で言った。

「暴力はいけませんよ」さっきまで自信に満ちていた隼人もたじろいでいる。

 確かにこちらは三人がかりであればどうにかなるのではないかと思うが、鈴木の長身と鍛えられた上腕、恵まれた体躯を見ると焦りを感じえない。

 予感は的中し、気づいた時には鈴木は腕を伸ばし川内の襟元を掴んでいた。

 川内は低い呻き声をあげ、鈴木の腕を掴む。

「悪い子供は大人が教育しなきゃいけないんだよ。勿論後で教育費は貰うけどね」

 川内は鈴木から離れようともがくがまるで動じず、そのまま引き寄せられた。

 隼人が鈴木に飛びかかるが、片方の腕で軽くあしらわれる。

 ふと俺は思い付き、尻餅をついた隼人が背負っているリュックサックを漁る。ゴミなのかよく分からないものが詰められている。 「なにしてるんですか」

「あった」

 俺は今にも拳を振るわれてしまいそうな川内の元へ駆け寄り、鈴木の顔を目がけ手を振るう。彼はすぐに空いている手で防ごうとするが、無駄である。

  うう、という呻き声が聞こえる。鈴木は目を抑え、よろめいていた。

「ああ、大事な灰を」隼人が言う。俺は隼人が集めた火山灰を直接、鈴木に浴びせたのだった。

 鈴木の呻き声がむせ込みに変わる。

 想像以上の効果だ。川内も多少被害を受けたようだが今は気にしている場合ではない。

 川内の手を引き、俺達はその場から走り去った。

 文化通りに出ると飲みに繰り出した大人達で溢れかえっている。

「この人混みの中なら大丈夫だろう」

「そうだな、助かったよ」川内は息を切らしながら言う。わずかに灰を被った彼の眼は充血していた。

「ああ、大切な資金源が」隼人は空になった空き瓶を撫でている。

「皆無事だったからいいじゃないか。それに火山灰を売らなきゃいけないほど生活に困ってるのか?」

「掃除のバイト代で生活費は十分賄えてるんだけどね。火山灰を売ったお金は活動資金に充てるんですよ」

「なにの活動?」

「原発反対活動です」

「は?」俺と川内が同時に言った。

「火山灰という鹿児島の力で僕は反原発活動に臨みますよ」

 鹿児島で掃除をして稼いだバイト代も立派な鹿児島の力ではないのか。いやそれよりも。

「活動についての疑問は置いといて、もっと効率の良いやり方があるんじゃないのか」

「効率の良いやり方ってなんですか。皆そういって何でも効率を重視しますけどね、効率ばかり考えている人ほどずるずると無駄に時間をかけて、結局何もできずに終わるんですよ。そもそも、霧島の言う効率って何ですか」

  軽はずみな発言が隼人の心に火をつけてしまった。

 俺は返す言葉に詰まると「疲れてるときに隼人の講釈は聞きたくねえ」と川内に耳打ちされた。

「いや、俺が悪かった。応援するよ」俺が言うと「そうですか」と隼人は腑に落ちない様子で言った。

  川内が今日はもう帰ろうと提案したので俺達もそれに賛成し、解散した。

「よっしゃ、ど真ん中!」人吉さんは男らしい言葉遣いで歓喜の声を上げた。

「いやあ、人吉さんはお上手ですね」隼人が太鼓を打つ。

「ほんとに」

 俺たちはこの日、遂に川内の許嫁・人吉さんと会うことになった。

 場所はあの日以来ご無沙汰になっていたコペルニクスで、ダーツに勤しんでいた。

「まあ、こんなもんよ」人吉さんはガッツポーズをしながら川内の隣に腰かける。

「僕はですね、ずっと尋ねたいことがあってですねえ」隼人は酒が回りへべれけになりながら言った。

「そもそも貴方は本当に川内の許嫁なんですか」

 さすがは隼人、酒が入っているとはいえ俺達が聞きづらいことを迷いなく聞いてくれた。俺の隣に座る指宿も小声で「ナイス」と言った。

 人吉さんは一言、「本当だよ」と答える。

 まさか、川内の話が真実であるとは。絶対にありえないと考えていたわけではないが、やはり驚きは隠せない。

指宿は「こんなにいい人が」と言った。  指宿の言う通り、人吉さんは店の外で川内に紹介された時から、礼儀正しくも堅苦しすぎる訳でなく、気さくで明るく接しやすい人柄の女性という好印象を受けている。

「川内、お前は幸せ者だな」俺が嫉妬の念を込めて言う。

「それなのに、君という男は」指宿が言うと「その話は今はなしということで」川内がそれを制止する。

 恐らく指宿は川内の女癖の悪さを公言しようと思い、川内はそれに感づいたのだろう。

 確かにこの場には相応しくない話題だと思った。 すると、「この子の浮気性の話?」

  人吉さんの口から予期せぬ言葉が飛び出した。「そ、そうですが」言い出した指宿も不意を突かれたのか、力のない声で答える。

「遊び盛りの大学生だし、それ位大目に見てあげないとね。私は年上のお姉さんだし、鹿児島の女は器が大きいしね」いま一つ納得できない理由ではあるが、人吉さんの懐の深さはよく分かった。

「やっぱり川内には勿体ない」指宿が言った。隼人は相当酔いが回っているのかコクコクと小刻みに頷いているだけだった。

「まあ、許してるわけではないけどね」人吉さんが言い、肘で川内を小突くと川内が頭を掻きながら、ヘヘと笑う。カップルと言うよりは姉弟のようだと思った。

 話が一段落するが、俺達の聞きたいことはまだ残っていた。しかしそれもまた隼人が聞いてくれるのだろう。

「それで、結局何で川内の許嫁になったんですか」隼人が言う。信じていたぞ、隼人。 失礼な物言いだが、人吉さんは笑顔で受け止めてくれる。 「暗い話になるかもだけど、いい?」

「もちろん、鹿児島の男の懐は錦江湾よりも深いですから」結局、鹿児島の人間は皆、器が大きいということか。

「簡単に言うとね、実は二年位前にちょっとした事故で私、両親を亡くしてるんだ」

 それはちょっとした事故ではない、と思った。

「それは災難でしたね」隼人は神妙な顔をして無理に返事をする。

「両親が運び込まれた病院で、私が途方に暮れていた時に声をかけてくれたのがこの子だったんだ」人吉さんは、親指で川内を指す。

「偶然、祖母の見舞いで鹿児島に来てたんだよ」川内が補足する。

「それで、大学に通うのも難しくなったから中退して。親戚に面倒をみてもらうような歳でもなかったから、すぐに働き始めて。親戚とか友達は気を遣ってばかりで。そんな中、川内だけは電話を通して明るい話題で何度も励ましてくれたんだよ。彼がいたから何とか立ち直って、ここまで生きてこれたのかな」 胸を打たれる話だ。川内は気恥ずかしそうに鼻を掻いている。

「やっぱり重い雰囲気になっちゃったね。今日は私の奢りだから、どんどん飲もう」人吉さんが快活に言う。

「それにしても、普段の川内からは想像できませんな」隼人が怪訝な表情で言う。

「たしかに」指宿が言った。

「そんないいものじゃないよ」川内は何故か後ろ向きに発言をする。

  人吉さんは川内の背中をたたき、「自信持ってよ」と言った。

 二次会のカラオケを終えると、時刻は既に深夜三時を回り、普段飲み歩く人で溢れる文化通りも大分閑散としていた。

「ダーツだけではなく、カラオケまでお上手とは」酒の回った隼人は、上司に胡麻をする部下のように言った。

「隼人君のブランキーもなかなか良かったよ」

 隼人と川内、人吉さんは和気藹々と話している。

 俺と指宿がその少し後を歩いていると、「ブランキーって何?」と指宿が言う。

「バンド名だよ、隼人が歌ってたよ」そういえば指宿は半分以上居眠りをしていたな。

「ぼんやりとしか覚えてないけど、盛り上がってたね。寝ている人もいるのに」と皮肉を切る。その理屈はおかしい。

「バイトが忙しいの?」

「忙しいというか、休みの前だったから遅くまでシフトを組んでたからね」指宿が行った時、突然、前を歩く隼人達が立ち止まる。 「どうしたの?」

「人吉さんはカラオケ、ダーツ。それに合気道も上手らしいですよ」隼人はやたらと興奮した様子で言った。

「そこでですね。早速、技を決めてもらいますよ」恐らく隼人が合気道の餌食になるのであろうに、何故か意気揚々としている。

「遊びで素人に使っていい物じゃないけど。お酒も入ってるし、隼人君は面白いからいいかな」人吉さんが嬉しそうに言うが、無茶苦茶な話だと思った。

「じゃあ、隼人君。腕を私に向って伸ばしてみて」

「こうですか」と言いながら、隼人が右腕を挙げた瞬間。人吉さんは両腕を伸ばして隼人の手首と肘の辺りを掴み、次の瞬間には隼人を引き寄せて腕を外側に伸ばしたまま座り込ませた。

「感想はどうだ」川内が言った。

「痛くはないけど、動けません。何というかリアクションに困りますね」

 隼人は人吉さんに抑え込まれたまま、冷静に話しており何ともシュールな光景であった。

「本当はこの後に相手の全身を地面まで倒すんだけど、あんまり派手なことをして警察に絡まれると厄介だしね」人吉さんは言ったが、既に警察が寄ってきそうな光景だと思った。

 人吉さんは隼人の腕を放し、立つのを手伝う。

「どのくらい練習したら投げたりできるようになるんですか」

「技にもよるけど実戦で使うなら三、四年かな?私はもう十年以上通ってるけどね」先程の鮮やかな手捌きは長きに渡る鍛錬の賜物らしい。

「ちなみに川内も通ってるんだよ」

「そうなんですか、ずるいです」

「らしくない」指宿が言う。

「それは内緒なんだけど」川内が照れくさそうに言う。

「先月始めたばかりだから、まだまだだけどね」人吉さんが言い、川内は押し黙る。川内を丸め込めるのは人吉さんだけかもしれない。

「大学卒業までは人吉さんに守ってもらわないとな」俺は茶化すように言った。

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