『微熱』 | |
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「初めてなら、CB.Jimが良いと思うけど」 俺は陳列棚からCDを手に取り、ひらひらと指宿に見せびらかす。 「かわいい」ディズニーみたいだと指宿がCDのジャケットを見て言った。 俺達は天文館表参道のCDショップ十字屋に来ていた。先日、音楽談議に再び置いてきぼりを食らった指宿は、またしても半ば無理やりに俺を店へと引っ張り出した。 正しく言えば、指宿の発した言葉は「買い物に付き合って」との一言に過ぎないのだが、そんな言葉も指宿の物であれば法律にも負けぬ拘束力と国家権力にも劣らない強制力を持つのである。 陳腐な下心から宮崎さんに対する後ろめたさが生じ、頭の中で小さく詫びる。 「一曲目からグイグイ引っ張られるよ」 俺の熱心な解説に対して、指宿はふうんと気の抜けた返事をする。 こんな恋愛関係にある男女の和気藹々とした空気からは程遠いやり取りを続けている。にも関わらず俺達は周囲から注目を浴びていた。おいお前たちはカップルなのか、その美女はお前の彼女なのか、どうなのかと詰め寄る声が聞こえてきそうな。そんな余念に囚われる。 「まあ、ベスト盤もあるしそこからでもいいんじゃないか」 俺が白と黒、二枚のベストアルバムを差し出す。指宿はそれをじっと見つめて言った。 「隼人はベスト盤なんて認めないって言ってたけど」 そう言って指宿は口を尖らせる。 「彼らは普段からベストを尽くしているはずなのに、どうしてベスト盤なんていう物が存在するんですか?おかしいですよ」 全て俺の想像だが、不機嫌そうに語る隼人の姿が脳裏に浮かぶ。 「確かに、隼人の言う通りかもしれない」 「やっぱり?」 「ベスト盤にはベスト盤の良さもあるけどね」 指宿はそうなんだとつぶやき、CDを交互に眺めた。 「そんなに隼人の事が気になる?」俺は意地悪をするつもりで聞いてみる。 ここで指宿が気を取り乱し頬を染め、呂律が回らなくなる。そんな事があれば可愛げがあるのだが、彼女らしく「うるさい」と一言で片づけられた。 「そろそろ時間だ」彼女は腕時計を見て言った。 「なにか用事があるの?」俺は尋ねた後に後悔する。 「仕事だよ」指宿はさらっと答えるが、俺は彼女の仕事を思い出すとやはり、返す言葉が思い浮かばない。 「やっぱり、大変なの?」無難な言葉を探し出し尋ねる。 「大変って程じゃないけど」 「最近、常連になったお客さんがいてね。どこかの企業の社長さんみたいで羽振りは凄く良いんだけど」 「だけど?」 「なんというかお店の娘に目をつけて、手を出そうとしているというのかな。何人かは声を掛けられてるみたいで」 「大丈夫かよ」 「少しは心配だけどね。私もよく指名されるし。だけどお店の外に誘われることはないから、大丈夫かな」 それは大丈夫ではないだろうと思った。 ・ 翌日、俺は甲突川の河畔を訪れた。河岸は丁寧に舗装されており、川を下流へ目で追うと錦江湾を越えた先に見応えのある雄大な桜島が佇んでいる。空いた時間を過ごすには絶好のスポットだった。整った環境のおかげで平日の昼間にも関わらず、散歩を楽しむ人が数人みられる。 「おい、あそこ見てみろよ」聞き慣れた声が耳に入る。「やや、霧島じゃあないですか」 振り返ると川内と隼人がやってきた。 どうして、このタイミングで現れるのか。 隼人はやってきて早々、俺が手にしているスマートフォンを覗いてくるので、液晶の照明を落とした。 「もしかして、宮崎さんと会う約束でもしてたんですか?」 隼人は何やら興奮しているようで、軽く息を切らし額の汗を拭う。そう尋ねられたのであれば仕方ないな。 「鋭い。けど惜しい。今夜バーベキューをする予定でさ、その下見に来てたんだよ」 熱いね、と川内が言ったため、「どっちの意味だ?」と尋ねると、「両方だよ」と嘲るように答えた。 「じゃあお邪魔でしたね」 そうでもなかった。以前、宮崎さんから隼人達と集会をしたいと頼まれていたことを思い出す。 その旨を伝えると、「そういうことでしたら、喜んで」と隼人は快諾する。 「川内はどうする?」 「参加するよ、俺も宮崎さんにはいろいろ聞きたいことがあるしな。勿論、二人の近況について」川内はしたり顔で言う。 「余計なことは聞くなよ」俺は一応釘を刺す。 「ところで、二人は何してるんだよ」すると、隼人はよくぞ聞いてくれたとでもいうように満足そうな顔をして「実はですね、ドローン男がまた現れたんですよ」と言った。 「まさか、ドローン男を探し回ってたのか」 「そのまさかだよ」川内はやれやれという顔をして、隼人は「この辺が怪しいんですよ」と言った。 根拠はどこにあるのか。 「霧島は怪しい人を見ませんでしたか?」 「見ての通り、俺達と散歩してる人しかいないけど」 「そうですか、残念です」隼人は険しい顔をつくり、「このままでは警察に負けてしまうかもしれない」と言った。 彼は警察とドローン男を巡る競争をしているつもりらしい。 「そもそもドローン男を見つけてどうする気だよ、ドローンの飛ばし方でも習うのか?」 「それもいいですね」隼人は惚け、「おいおい」と川内が突っ込む。 「とにかく、一度彼に会って少しでも支援してあげたい。といったところですね」 「どうしてそんなに肩入れするんだ?」 「それは」隼人が微笑む。 「同志だからですよ」 相変わらず、理解に苦しむ発言である。それにしても、我ながら機転が利いたな、と思った。 ・ 「同志なんだね」宮崎さんは手にしたビールの缶を揺らしながらケラケラ笑う。 「何が可笑しいんですか」隼人は不服に感じているようで口を尖らせた。宮崎さんは「ごめんね」と言いながらも笑い続ける。 俺達は各自道具や食材の準備をして夕刻、甲突川に再度集合しバーベキューを始めた。 「そのドローン男への思い入れは何なんだ?」俺が尋ねる。 「もしかしたらね、本気で日本を変えてやろうと活動しているのは僕とドローン男の二人だけかもしれないですよ。」 「なんでそんなに自分を特別な存在だと思えるんだよ。子供みたいだぜ」川内が手に持った串を隼人に向けて言う。 「何てことを言うんですか」隼人は怒気の籠った声を発し、みるみるうちに表情が険しくなる。 「人が他人に対して無関心になってしまった今の時代にね。自分で自分の事を特別視しないで誰が特別視するんですか」隼人の講釈が始まった。 川内は地雷を踏んだことに気づき顔に手を当てる。 すぐに「分かった。俺が悪かった」と川内が謝罪するが、隼人の講釈は止まらない。 「大体ね、自分は大した人間じゃないと自分で限界を決めつけてしまうのが現代人の悪い所なんですよ。誰しもが何かしら優れた才能を持っているというのに」隼人は口惜しそうに言う。 隼人が間を置き、次の言葉を用意している瞬間。 「テンテンくんかな?」宮崎さんが言った。 そんな何気ない一言が隼人を、いやこの場の空気を固めた。 「誰ですかそれ」隼人が首を傾げる。 「俺も知らない」川内が言った。俺も知らなかった。 「ジェネレーションギャップだねえ」宮崎さんは嘆いた。 だがそんな一言のおかげで隼人の講釈は中断され、俺と川内は胸を撫で下ろす。 「ところでさ、再来週の試験が終われば、夏季休暇でしょ。休みに入れば隼人くんと指宿さんが会う機会がなくなるよね」宮崎さんが網の上の串を裏返しながら言った。 「それがどうかしました?」隼人がむっとして言う。 「指宿さんは寂しいんじゃないかなあ」 宮崎さんはそう言った後、隼人の様子を伺いながら言った。「それに指宿さん、ピンチだって聞いたけど」 「え、そうなの?」川内が尋ねる。 俺がピンチについて、指宿から聞いた事情を説明すると「おい、隼人どうするよ。やっぱりあいつ危ないよな?」と川内が慌てたように言う。 「だから何で僕に聞くんですか」 「社長だってさ、運転手付きのリムジンだよ」川内が囃し立てるように言う。 「指宿が助けを求めましたか?」こうなった隼人が梃子でも動かないことを川内も承知しており、「もういいよ」と言って川内は溜息を零した。 ・ 講義室の片隅で今日も一日頑張ったと自分を褒め称えながら帰り支度をしていると、どこからともなく田守が現れた。 彼は、やあ、と気の抜けた挨拶をする。それに合わせるように俺もやる気のない返事をした。 「今日指宿が危ないんだって?」田守が言った。 「どういうこと?」 「あいつが働いてる店にさ、昨日行ったんだけど」彼は、指宿が水商売に勤しんでいることが、常識であるかのように、話を進める。川内へ指宿勤め先を伝えたのは田守かもしれない。 「どこかの会社の社長さんが今日、パーティーをするらしいよ。聞いてなかったのか」 俺は首を横に振る。『社長』という単語から、CDショップでの指宿とのやり取りを思い出し、嫌な予感が生まれる。 「それでさ、社長は指宿を大層気に入ってるみたいなんだが。あいつの出勤日に合わせて計画したらしい。どうやら相当意気込んでいるらしいぜ」 「何で今日なんだ?」 「さあ?来週から指宿も試験対策でバイトを休むみたいだし、なんといっても社長だからな、それなりに忙しいんだろ」 「なるほど」分かるような、分からないような話だ。 「そこまで入れ込んで、専属の秘書にでもするつもりかね」 「秘書か―」田守の言葉で、タイトなスーツに身を包んだ指宿の姿が脳裏に浮かぶ。悪くないな。 しかし、そんな下らない妄想に耽っている場合ではなかった。 「でもなんで、俺に?」 「悔しいことに、大学で指宿と一番親しいのはお前たちだからな。悔しいことに」 彼は実に口惜しいのか二度繰り返し、最後に「だから、どこぞの社長から指宿を守ってくれよ」と、まるで社長が悪者であるかのような口振りで言った。 話終えると田守は離れていく。彼の背中を見送っていると何かを思い出したのかこちらを振り返る。 「ところで、指宿とはどうやって仲良くなれたんだ?」 俺は少し考えて答える。 「これだよ」俺はマイクを握るジェスチャーをして隼人が演説する様を真似た。 「カラオケ?」彼は首を傾げた。 |
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