『秘密』 | |
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「これまでで、一番のニアミスじゃない」 宮崎さんは感激のあまり、手にしていたフォークを落とした。 「だけど目撃者が隼人だけだから、どこまで本当なのか分からない」 俺達二人はジョイフルで昼食を摂っている最中、隼人がドローンに遭遇した話題になった。 「霧島君、それは違うのだよ」宮崎さんはフォークを拾うことも忘れ、妙な口調で話始める。 「超常現象を、事実か虚構かの二分化のみで考えるのは間違ってるよ」彼女は示指を立てて言った。 「どういうこと?」 「超常現象はね、それに関わる人と環境、その他の背景だったりを楽しむものなんだよ。だから、超常現象があるか、ないかで語るのは言語道断だよ」 そもそもドローン男は超常現象なのかと疑問に思ったが、確かにドローンを追い続ける隼人の姿は、謎を追う藤岡弘を彷彿させられたため、「その通りかもしれない」と答える。 すると宮崎さんはニコリと微笑み、ようやくフォークを拾った。 「ところで、川内君と許嫁さんの様子はどうだった?」彼女は首を傾げて言う。 「それが、俺達が想像していたよりも深刻そうだったよ」 俺は未だに人吉さんの言動が理解できずにいる。 「結局、その原因は分からず終いなんだけど。川内から今夜招集されてるんだ」 宮崎さんはケーキを小さく切り分けながら「いつもの四人で?」と尋ねてくる。 「うん。何か話があるみたいで、俺達が案じていることに気づいているのかも」 「なにやら深刻みたいだし、力になってあげないとね」 「川内の悩みくらい、何とかしてみせるよ」我ながら自分らしくない約束をするものだと思っていると、「頼りになる言葉だね、まるで隼人君みたいだよ」と宮崎さんに指摘される。 やはり俺は隼人に毒されているらしい。 ・ 川内曰く、アパートの部屋は寝る為だけにあるらしい。 彼の言葉通り、久々に訪れる川内の部屋は相変わらず殺風景で余計な物は殆ど置いていなかった。その寂しい環境が、俺達の間に流れる何となく重い雰囲気を加速させている。 重い雰囲気の正体は川内の口から、何らかの問題事が出てくることを皆それぞれに予期しているためである。とにかく俺達はリビングの中心に置かれたテーブルを囲い、近所のタイヨーで買った惣菜をつつきながら、川内の言葉を待った。 「ほら、遠慮なく飲めよ」川内は冷蔵庫から持ってきた缶ビールを並べる。 四人が部屋に集まって以降、川内は必要以上に場を盛り上げるため話題を絶やさぬようにしている。しかし話題の内容はテレビのニュースだったり、大学の単位の話であったりと、彼らしからぬ内容で無理をしていることが容易に覗えた。 流石に話題も尽き、息の詰まりそうな空気が更に重みを増した。すると川内が「そうだ」と言って席を外す。 彼は戻ってきて「これでもするか」と箱をテーブルに置く。 色とりどりの箱には大きなフォントで人生ゲームと書かれている。 「いい加減にしてください。本題を始めてもらえませんか」痺れを切らした隼人が言った。 川内は苦い顔をして「ごめん」と言い、人生ゲームを床に置き腰掛ける。 「最近、俺と人吉さんのことで皆には心配かけてると思ってさ。ちゃんと事情を説明するのが筋だと思って呼び出したんだ」 「続けてください」 「その事情っていうのも、まだ確証はないんだけど人吉さんの態度を見てると他に理由は考えられないんだ」川内は前置きをして話を始めた。 「結論から言うと、人吉さんの両親が亡くなった事故を起こしたのは俺の両親なんだ。それを人吉さんが知ったんだと思う」 俺は川内の言葉に息を呑んだ。 「どういうことですか」隼人は尋ねる。 「二年前、家族揃って鹿児島に住む祖母の家に帰省したんだよね。そして祖母に頼まれて親が買い出しに行った途中、人吉さんの両親が運転する車に衝突したんだよ。俺の両親は軽傷で済んで、現行犯逮捕されて。俺と親戚でいくつか処理をした後、病院へ謝罪に行ったんだよ。だけど、病院に着いた頃には人吉さんの親はもう死んでたんだ」 現実味のない話であるが、川内の表情と、調子の低い語気が説得力を持たせている。 「人吉さんとは偶然病院で会ったって話しただろ?あれは嘘なんだ。医者から話を聞いている人吉さんを見てすぐに娘さんだと分かったんだけど、偶然を装って俺は話しかけたんだ。最低だろ、親を殺した人間の息子がすることじゃない」 「人吉さんはそんな時でも気丈に振る舞って、これから大変だよ、って涙も流さずに話してさ。凄い人だよ。ひきかえ、俺は自分の正体を明かす勇気すら持てなかった。それなのに彼女を支えたいと思うなんて、無茶苦茶だよ。どこまでも救えない奴だよな」 いつしか川内は肩を震わせていた。 「人吉さんのことを思っての行動だろ、川内は悪くない」 感情的になる川内にフォローを入れるが何の救いにもならない。 その後、川内が祖母の姓に戸籍を移したことや、住居を鹿児島に移したことを隠して暮らしてきたという話を聞いた。彼は今日まで勇気を持てずに人吉さんを欺き続け、行き場のない罪悪感を背負ってここまで二年間生きてきたようだ。 川内は何故、俺達に真実を打ち明けようと思ったのだろうか。自分の中で抱えきれず、白日の下に晒すことで、少しでも気が楽になると思ったのか。それとも、絶望の淵まで追い詰められ、俺達に救いを求めたくなったのかもしれない。 しかし俺達は川内の独白に返す言葉がなく、目の前で俯いている友人に何の手助けもできなかった。 沈黙が続いた後、「すまない。今日はもう帰ってくれないかな」と川内が一言発した。 結局、何一つ言葉をかけられないまま、部屋の玄関に立ち、外へ出た。 川内が玄関の扉を閉めようとしたとき、隼人が「人吉さんが川内と過ごした時間は幸せだった筈ですよ」と言った。 「そうかもしれない」川内はそう言って扉を閉じた。 ・ 肌寒くなってきた鹿児島の気候は、俺達の内面を一層凍えさせた。 「これで良かったのでしょうか。川内は少しでも気が楽になったでしょうか」 「分からない」 「指宿ならどうしますか」隼人は指宿に尋ねると、「分からない」と言って、彼女は首を横に振る。 皆、打つ手のないもどかしさを感じているようだ。 間もなく駅に着く頃、一本の電話が入り携帯を取り出し液晶を見て驚いた。 「もしもし、霧島君?今日は川内の家で集まってたらしいね」 電話の相手は人吉さんだった。 「そうですけど、もう解散しましたよ」 「そっか。彼のアパートの下まで来たところだったんだけど、会えなくて残念」 「あれ?今日は深夜まで仕事だと聞いてましたけど」妙だ。 「サプライズだよ。じゃあ、そろそろ行くから。またね」 人吉さんは妙に明るく言って通話を切った。 「もしかして、人吉さんですか」 「ああ」 「相変わらず、元気ない?」 「いや、それがやけに明るく話してて何というかおかしかった」 言葉の通り、人吉さんの様子がおかしい。そう形容するのが正しいだろう。更に、このタイミングでサプライズというのも気になった。 俺は彼女の言葉を思い出し、悪い予感に襲われる。 「川内の家に、戻ってみる」 俺は振り返りすぐに駆け出した。 ・ これほど全力で走るのは人生で初めてかもしれない。川内の家で少し酒を飲んだためだろう、体温と血圧が大きく上がっていくのも分かる。 仮に人吉さんが川内の秘密を知ったとして、どんな感情が芽生えたのだろうか。悲しみ、苦しみ、恨み、あるいはその全てかもしれない。 ただ、アクアリウムカフェの帰り道、人吉さんが発した言葉から推察できる感情とその後の動向は、重く、悲惨な物である。 着信があった場所から川内の家までそれほど距離もないため、三分ほどでアパートの下へたどり着いた。 錆びついた階段を駆け上がり、玄関の前に立った。手を伸ばしドアノブを捻る。鍵はかかっていないようで、すぐさま中へ飛び込んだ。 玄関を入ったすぐ先で見たのはキッチンのシンクを背にして立ち尽くす川内と、彼の腹部手前に刃物を構える人吉さんの姿だった。想像していた事態であったが、俺は目を瞠る。 川内の予測通り、彼の秘密が人吉さんに伝わったようだ。一体どこで、知ってしまったのか。しかし今、そんな事を考えている場合じゃない。 「人吉さん、辞めてください」どう動くべきか分からず、俺は説得を始める。 「霧島?」川内が呻くように言った。 「どうして戻ってきたの?」人吉さんはナイフを握った手を震わせながら言う。 彼は察して「俺が事故の話を教えたんだ、それで察したんだと思う」と虚ろな表情で言った。 「そうなんだ。でも、邪魔をしないで」そう言って彼女は強くナイフを握り直す。 「どうしてですか。川内には何の罪もないじゃないですか」 「何の罪もない?ずっと私を欺いて接してきたことは罪じゃないの?欺くばかりか、下心を持って近付くなんて正気じゃないよ」 「これまで川内が全てを秘密にしてきたことは許せることではないかもしれません。だけど川内が人吉さんに接触したのは、人吉さんを支えてあげたかったからですよ」俺は精一杯感情を込める。 「そうだとしても」そう言って、人吉さんは俯いた。 「私は川内の親が憎いんだよ。理に適ってないと分かっても、川内の事も同じくらい憎いんだよ」 川内に殺意を抱く程、憎いというのか。 「霧島君も私を助けてくれないんだね」 人吉さんは一粒の涙を零し、震えていた手を固める。 まずい、そう思い、「やめてください!」と苦し紛れに言って、駆け出そうと身体を緊張させたとき、川内が再び俺の方へ眼を向ける。 「これでいいんだよ」川内が力なく言った。 彼の言葉が俺の身体を止めた。 「これが一番、いい結果なのかもしれない」そう言って川内は口を閉じた。 ふざけるな、どこが良い結果なんだ。 その瞬間、人吉さんは両腕を川内の腹部へ伸ばした。ナイフの刃は静かに川内の腹部に沈み込んでいく。その衝撃で川内の身体は後方の壁にもたれかかる。 人吉さんの動きが止まり、ナイフから手を放すと、川内は全身の力が抜けたように、ゆっくりと床に沈んだ。 間もなくして人吉さんは膝から崩れ落ち、生気を感じさせない表情で川内を見つめている。 部屋には静寂が返った。自分の心臓が強く脈を打つ音が聞こえる。体内を血液が走り回り、血圧が上昇し、目眩が起こる。 徐々に広がる血の海と、その中にうずくまる川内と宮崎さん。 そんな現実味のない光景を、俺はただ呆然と立ち尽くし眺めている事しかできなかった。 |
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