『溝』

 今回の事件における取り調べは数回に分けて行われた。俺は重要参考人として扱われ、人吉さんの罪を少しでも軽くしようと望むが、捜査の内容は客観的な事実のみを聴取するもので、俺の思惑は果たせなかった。事なきを得た川内は告訴をしない意思表示をするが、彼の祖母は告訴することを決めているらしい。だが何よりも、人吉さん自身が殺意を認めており、結局は送検され、起訴まで至った。

 あまりに非現実的な出来事が続き靄のかかっていた頭も、日が経つにつれて徐々に整理されてきた。しかし鮮明さを取り戻した頭に残ったものは大きな虚無感と陰鬱さであった。

「もう必要ないな」

 アパートの部屋で俺はつぶやく。

 俺の行動が何もかも無駄なことに思えてきて、部屋の清算を始めた。聞く回数の減ったCDや使わなくなった雑貨、電子機器をばらし始めた。

 宮崎さんがナイフを動かしハンバーグを小さく刻む。

「どうしたの?チラチラ見て」宮崎さんは不審者でも見るような表情で言った。

「情けない話だけど、ナイフとかが苦手になったんだよね」

 俺は川内が刺された日から刃物を見ると血の気が引くような思いに襲われるようになった。

「そうなんだ」宮崎さんは「最初に言え」などと、責め立てるような事はせず、箸に持ち替えてくれた。

「呑気に食事してる場合じゃないのかもしれないけど、食欲はあるんだよ」

 宮崎さんは「それはそうだよ」と言った後、「川内君の調子はどう?」と尋ねてきた。

「昨日見舞いに行ったときは、明るく振る舞ってくれたけど無理をしてるのが分かる。それに食事をほとんど拒否して、点滴をいれてるみたいだった」

 宮崎さんは軽く頷いた。

「とりあえず、今夜も隼人と見舞いに行ってみるよ」

「よろしくね」

 俺達は目の前に立ちふさがる絶望的な現実に立ち向かう術を見いだせず、自然と核心を避ける話題で時間を過ごしていた。

 午後五時を回る前に、日は沈み季節の変遷を再認識させられる。

 病院へ向かう途中、見舞いの品を購入する為に天文館駅で降車し、隼人とたまには面白い物でも持っていこうかという話になり、交差点を渡った先にあるドンキホーテへ入店した。

 店内の華やかなBGMは、現在の心境にそぐわず、いち早く抜け出したい気分になる。隼人も同様なのか、いつになく口数が減っており、黙々と商品を眺めている。しばらく商品を物色していると、先に支払いを終えた隼人に急かされ、俺は特に面白味のない輸入雑貨を購入した。

 店を出て、中央交差点の人混みに入る直前に肩を掴まれた。

 隼人は何故こんな乱暴なことを、と思い振り返る。しかし肩を掴んでいたのは全く違う人物だった。

「偶然だね。それにしても、よく会うね」

 今回も風貌が大きく変わっており、気づくのに一瞬遅れたが、その人物はこれまで二度も遭遇し、その度に俺達へ牙を向けてきた鈴木だった。彼の大きく見開いた眼差しから正体不明の狂気を感じ、俺は恐怖に襲われる。

 俺は必死に手を振り払うがビクともしない。

 隼人が気づき、「なにしてるんですか」と大声を上げた。

「やめてよね。騒ぎになっちゃうじゃない」鈴木は相変わらず小馬鹿にした口調で話す。

「ついてきてよ」

 俺は夏に遭遇した時のように対抗する手段を模索するも、思い浮かばず、「仕方ない」と隼人に言った。

 鈴木の後を追う途中、隼人の小言を聞き流す。

 あの場で喚き散らす事で難を逃れる手段もあったのだが、敢えて彼に従うのには理由がある。

 天文館の中心から少し離れた路地に着くと鈴木は口を開いた。

「友達が大変なのに買い物何て呑気だね」そう言って鈴木は再び微笑む。

 やはり、そうなのか。

 人吉さんが川内を刺した日からずっと湧いていた疑問。

 どこで人吉さんは川内の秘密を知ったのか。過去の事件を取り上げたテレビや新聞、インターネット等で偶然知ったのかもしれない。もしくは悪意を持った人間から川内の秘密をつきつけられたのかもしれない。どちらの可能性もあり得ないことではない。

 しかし、人吉さんの異常な恨みを見ると、悪意を持った人間が、川内の秘密に多少脚色を加えて、彼女に伝えた可能性の方が高いように思えた。

 そして、もし悪意を持った人物がいるとすれば誰なのか。

 川内に恨みを持ち、陥れてしまおうと考える人物は、俺の中で鈴木しか思い浮かばなかった。

「どうしてそれを」隼人はそう言った途端、彼はシャツの襟を掴まれる。

「人吉さんだったかな?川内君のフィアンセは?彼女に川内君の秘密を教えたの、俺だから。まさか、刺すとはね。期待以上の成果だよ」

「意味が分かりません」といって隼人は暴れ始める。

「川内の情報をどこかで手に入れたんだと思う」俺は言った。

「その通り、霧島君は察しが良くて助かるよ。君達には二度もひどい目に遭わされたからね。僕自身の手を汚さない方法で君達を陥れてやろうと思って頑張って情報を探したよ。隙を見つければ、君達だって川内君と同じような目に遭わせてあげるよ。だから覚悟しといてね」

 鈴木は隼人の襟を放すと再び目を見開く。

「それじゃあ、川内君によろしくね」

 彼は俺達に悔しさと恐怖を残して去っていった。

 重くなった心を引きずって辿りついた市立病院は小さな迷宮のようで、毎回、戸惑いながら六階にある川内の部屋に着く。

 川内の病室は多床室で、彼と同年代と思われる患者が他に二名入院している。ベッドに横になる川内は似合わない文庫本を手にし、読書に耽っていた。

「遅くなりました」隼人が挨拶をすると、川内はこちらを向き、本を枕元に置く。

「いつもすまないな」

 川内は明るく振る舞っているが日ごとに窶れていく彼の顔貌を見ると、無理をしていることが容易に覗える。看護師の話では碌に食事もとらず、ベッドからもほとんど離れないようで、二次的な障害、いわゆる廃用症候群の方が心配らしい。

「今日はこんなものを用意しましたよ」隼人はドンキホーテの袋を漁り、ラッピングされた商品を取り出す。

「わざわざ包装してもらったのか」

「こういうのは気持ちが大事なんですよ」

 隼人はそう言った傍から雑に包装をはがす。

 出てきたものはダースベイダーの顔を模したマグカップで、なかなかリアルな造形をしていた。

「便利だと思って買ってきました、今年はスターウォーズの年ですよ」

 川内はマグカップを手に取り、くるくる回し全体を眺めた。

「俺、スターウォーズ詳しくないんだけど」

 川内の心無い一言で隼人の動きが止まった。

「ま、まあ今年はスターウォーズの公開も控えてるしね」慌ててフォローする。

「そうなのか?」川内が尋ねてくる。

「そうですよ、十年ぶり、期待の新作ですよ。もしかして、気に入りませんか?」次第に隼人は川内を責め始める。

「隼人、落ち着けって」俺は隼人を止める。

「すまん、そんなつもりじゃないんだ。ありがたく使わせてもらうよ」

 川内は再びマグカップを眺める。

 その後、俺も隼人も差し障りのない会話しかできなかった。そのため川内は腫れもの扱いされていると感じているかもしれない。だが、どうすればいいのか。淡々と時間が過ぎて次第に息苦しくなり俺達は病室を出る。この流れを繰り返していており、俺達の訪問自体が川内を苦しめているのではないかとさえ思う。

「それでは今日はここらへんで」隼人が言い、俺も「またくるよ」と続ける。

「ああ」

 川内の空虚な心を埋めることなど到底できず、彼が日に日に力を無くしている事は明らかであった。

 部屋を出てすぐに、高齢の女性と目が合った。

「もしかして、あの子のお友達ですか」女性は尋ねてくる。

 俺は気づき「川内と仲良くさせてもらっています。彼のお婆様ですか」と言葉を返す。

「いつも、ありがとうございます。でもこの所、ずっとあんな調子で」

「今は、仕方がないかもしれません」俺は取り留めのない言葉を出す。

「彼が、ああなったのは、私のせいかもしれません」

 どういう意味だろうか。

「私が、犯人を告訴するって言ったから。それを気にして塞ぎ込んでいるのかもしれないの。でも、私にとって唯一の孫で、唯一の家族なんだから、彼の為に行動して何が悪いの」彼女は突然感傷的になった。

 初対面である俺達の前で嘆く程に追い込まれているのかもしれない。

 少しでも救いになればと、彼女の行動と、人吉さんが起訴された事は結び付かないことを説明して、病院を後にした。

 帰り道、「しばらく来ないでおきましょう」と隼人が言った。

「それがいいかもしれない」

 川内のために、そして俺達の為にもその方が良いように思えた。

「あと、鈴木の事はまだ秘密にしておきましょう」

 とぼとぼと歩く隼人の後ろ姿はいつになく頼りなく見えた。

 大学の構内で偶然、指宿に会った。

「川内はすっかり滅入ってたよ」指宿が言う。

 指宿は午前中の講義が空いていたため、川内の見舞いに行ったらしい。しかし川内は、空返事ばかりで、ほとんど会話ができなかったらしい。

「そうか、そこまで」

「うん」

「隼人とも連絡取れないんでしょ?」

「そうなんだ、未だに音信不通でさ」

 彼もまた、友達を救う事のできない己の無力さを知り、塞ぎ込んでいるのかもしれない。

「なんというか、溝ができたね」

「溝か」

 指宿の言う通りかもしれない。俺達の間には溝が入りつつあるようだ。今はまだ、すぐに埋まるような、浅い溝。

 しかし、人吉さんと鈴木を始め、様々な要素によって、その溝が徐々に深く刻まれていき、いずれ修復のできない溝に変わるような、そんな不安に駆られる。

 考え込む俺の様子を見て、指宿が「明るい話題」と言った。

 俺が小首を傾げると、指宿は「実は私ね。彼氏ができたの」と続けた。

 耳を疑う。

 俺が返事をする前に指宿は話し続ける。

「一学年上の先輩なんだけどさ。前に話した通り、隼人にも断られたし。ここらで経験してみてもいいのかなあ、なんて」

 普段、指宿の口からは聞くことのできない、普通の女子大生のような話だ。そのためか、未だに実感が湧かない。

 その後の話によれば、川内が入院する少し前。彼女から、隼人に三行半を下された話を聞いた頃に、交際は始まったらしい。現在は彼氏が毎晩自宅まで送迎してくれているようで、危惧していた鈴木の魔の手も取り敢えずは平気らしい。

 喜ばしいことにも拘らず、指宿まで、遠くに行ってしまうような予感がして、素直に祝福することができなかった。

 

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