『俺とポリプテルス』

「投資?」俺が問うと、そう、自己投資。と宮崎さんはいった。

「散髪は自己投資の代表格だと思うんだよね」

 そう投げかけられても、そもそも俺は自己投資についての造詣が浅い。

「髪を切ってお金につながるのは、芸能人くらいだ」

 俺が言うと、宮崎さんは示指を振りながら「甘い、けど霧島君らしい」と続けた。

 どういう意味だろう。

「単純なお金に関する投資だっていうなら、資産を増やすために、資産を費やすことだけど。自己投資となれば、人間関係に関する、信頼とか友好の幅を広げるための研鑽のことだけど」

 なるほど、そういう物なのか。しかしなぜ、俺らしいのか。

「自己投資と聞いて、人間関係よりも、お金の話が先に出るところが霧島君らしいね」そう言って、宮崎さんは微笑んだ。

 俺は酷く馬鹿にされた気分になったため、反論する言葉を考える。そして、「俺が言いたいのは、人間関係を経てお金につながるってことだったんだよ」と愚にもつかない抵抗をする。しかし宮崎さんは、そうかもね、の一言で片づけた。

「霧島君だって、うちの店で頻繁に自己投資してたよね」

「あれは、出来心みたいなもんだよ」

 下心などと率直な事は言えない。それにしても、今日の宮崎さんの言葉は妙に鼻に付くところが多い。

 なんと言い表すべきか。とにかく今日の彼女は妙に。

「冷たい」と俺がつぶやく。

 彼女は首を傾げる。その後、「ああ」と言い、口に手を当て何か逡巡している。

 思案の末、彼女は「最近、会う機会が多いよね」と言った。

 会う機会、というのは俺と宮崎さんが二人で会う時間の事だろう。確かに、ここ最近は以前より多くなっていると思う。しかし、それが彼女の冷淡な態度の原因であるというならば、変な話である。なぜなら。

「良い事だと思うけど」俺は言う。

 恋愛関係にある二人であるのだから当然のはずだ。

「それはそうだけど、機会が増えた理由は?」

 彼女の問いかけに対する答えは、隼人達と過ごす時間がなくなったからだった。そんな事は考えなくても分かる。

「皆と会いづらくなったからかな」俺は当たり障りない言葉を絞り出すと、「まったく」と宮崎さんは呆れるように言った。そして宮崎さんは「愚か者」と唸る。

 突然の叱責にたじろぐ。構わず彼女は言葉を続ける

「皆と離れ離れになって、霧島君も心を痛めてるかもしれない。だけどさ、隼人君まで塞ぎ込んでいる今、動くべきなのは霧島君だよ。現状を皆のせいにしてどうするのよ」

 真っ当な彼女の言葉が身に沁み、まるで返す言葉がない。

 だが、一つ答えが見つかった気がする。そうだ、俺が動かないでどうする。

「ありがとう、背中を押してもらえた気がする」本当は気づいていたのかもしれない。

「そう?」彼女はあっけらかんとした様子で言う。

「隼人の部屋にいってくるよ」

 俺は宣誓した心持ちで言った。

 天文館近辺に位置する隼人のアパートに到着した。築三十年を越えたアパートの煤けた壁に傾いた陽が当たり、薄黒い不気味な表情を見せている。

 鹿児島市内に実家のある隼人は学生寮に入ることもできないため、この安アパートを住まいにしている。実家は通学可能距離にあるにも関わらず、無理をして一人暮らしに拘る理由を本人に尋ねたことがある。

 隼人は一言、「インスピレーションが広がるから」と理解に苦しむ答えを出した。

 今にも外れてしまいそうな錆びついた階段を登る。そういえば、隼人の家にお邪魔するのは初めてだったな。

 ここには酔いつぶれた隼人を一度運び込んだ事があるのみで、玄関先までしか来たことはなかった。今思えば、俺達が集まるのは毎回川内の部屋だった。数々の思い出が詰まったあの部屋も、たった一度の出来事で悪夢の部屋に塗り替えられた。

 宮崎さんに勇ましい事を言ったばかりにも拘らず、早くもネガティブな思考を始めてしまったことを悔いつつ、俺は隼人の部屋の前に立った。

 玄関の周りを見回すがインターホンが無く、覗き穴もついていないことに気づき、古いアパートの不便さが伺えた。仕方なく鉄製のドアを叩く。

 すると、ノック音を勘違いしたのか、隣の部屋の方から物音が聞こえたため、これは拙いと思い「隼人、いるのか」と声をかけた。どうなっているのだ、このアパートは。

 しばらくして、今度は玄関の奥から物音が聞こえる。

 少しずつ近づいてくる足音が止まり、「霧島ですか?」と隼人の声が聞こえた。彼らしくもない弱々しい声だ。

「そうだ、俺だよ。話があるんだ、入れてくれないか?」

 門前払いも覚悟していたが、あっけなく隼人は「わかりました」と言い、部屋へ招き入れてくれた。

 隼人の部屋は六畳程度のワンルームで、ゴミがたまっているわけではないが、教科書や雑誌、CDなどが乱雑に散らばり、足の踏み場が少なかった。

「まあ、楽にしてください」

 俺は隼人に案内され、部屋の中央にある卓袱台の横に腰掛けた。部屋には本棚、テレビ、水槽、ミニコンポ、そして瓶が山積みに置かれている。

 水槽の中には数匹の魚が泳ぎ、テレビには少年期のアナキンスカイウォーカーが映っていた。

「みんな、心配してるぞ」

 俺はテレビを眺める隼人に言った。

「ジャージャービンクスは世界、いや、宇宙を平和にするために行動したんですよ」

 俺の言葉と全く結び付かない内容が返ってきたため、一瞬の何の話か分からなかった。

「ああ、スターウォーズの」

「でもね、その善意を利用されて大きな戦争にまで発展してしまうんですよ。酷い話ですよね。映画の中で悪者にされて、視聴者から圧倒的な不人気で、現実では不名誉な賞を与えられて。彼が何をしたというんですか」

 隼人は愚痴をこぼす。確かに、俺も嫌悪感を抱いていた一人だ。

 返す言葉に困り、水槽に目を移す。

「ジャージャービンクスの事を引き合いに出すのは失礼かもしれませんが」

 隼人らしくない謙虚な発言だった。もしくは、彼にとってそれ程、ジャージャービンクスは尊敬に値する存在なのかもしれない。

「僕が灰を集めたところで、原発は再稼働してしまいましたよ。鹿児島県民を救うことなんてできませんでしたよ。それどころかね、川内すら救うこともできないじゃないですか」

 彼は呪術の様に言葉を並べた後、「僕にできることなんて何もないのかもしれません」と言って肩を落とす。そうとう滅入っているようだ。

「隼人がどれだけ気を落としてるのか、俺には分からないけどさ。少なくとも、俺は救われたよ。あらゆる物事に冷め切ってた俺を熱くさせてくれて、俺と川内と指宿を繋ぎ合わせて、大学生活を華やかにしてくれたのは正真正銘、隼人だ」

 俺が隼人に立ち上がってもらうため予めしたためていた言葉に対する返事は、「良かったです」の一言だった。だが、ここで諦めるわけにはいかない。宮崎さんとの約束のため、なによりも隼人の為に。

「俺だけじゃない」そう言って、俺は水槽を指差した。

 隼人は水槽に目を向け、首を傾げる。

 水槽の中を泳ぐのは、先日喫茶店で話題になった熱帯魚と同じ種類の魚だった。名前は、ポリプテルスだっただろうか。しかし、喫茶店で飼育されている綺麗な直線を持つポリプテルスとは違い、体の模様は途切れ途切れで、まるで斑点の様だ。

 不揃いの模様を持つポリプテルスは人気がなく、売れ残ってしまうという隼人の言葉を思い出す。

「そのポリプテルスだってそうなんだろ?お世辞にも出来がいいとは言えない模様の個体だ。売れ残れば、処分されるって言ってたよな。だから、救ってあげたんだろ」

 隼人は俯き、ぶつぶつと言い始める。そして最後に「やっぱり霧島は話が分かる奴ですね、それに僕の事がよく分かってます」と言った。

「でも救ってあげるなんておこがましいと思いませんか?せいぜい鹿児島市内の個体しか手が届かないし、お金にも限りがありますからね。助けられない者は見殺しにするしかない」

「そうかもしれない。けど」

「けど?」

「隼人らしいよ」

 手の届くものしか救うことはできないけど、彼は確かに救っているじゃないか。

「春には、川内。夏には指宿だって救ったじゃないか。まあ、指宿は救ったといえるのか分からないけど。それに、隼人はまだ、諦めてないだろう。その山積みの瓶が何よりの証拠だ」

 隼人は瓶に目を向け、「本当によく分かってますねえ」と嬉しそうに言う。

「川内の退院日は決まったんですか?」彼が尋ねてくる。

「来週の土曜だ。連絡しただろ」

「そうでしたね」

「どうするんだ」と尋ねると「決まってるでしょう」隼人は微笑む。

「次は川内を救い出しますよ」

 隼人は宣言した。

 翌日、俺は晴れやかな気分で目覚めることができた。

 のんびりと支度を済ませ、宮崎さんの勤める美容室へ向かった。隼人の部屋で、彼に美容室を予約するよう頼まれており、丁度良い機会だったので俺も一緒に予約させてもらった。

 隼人は川内の退院の日に何かをするつもりらしく、「来週までに用意は済ませます」とのことで、今日の散髪は準備の一つの様だ。

「遅かったですね」隼人は太々しく、店の前に立っていた。

「まだ集合時間の十分前だ」

「僕は二十分前に着きましたよ」

 だったら先に入ればよいだろうに。余程気合が入っているようだ。

 隼人はそそくさと店の扉を開ける。

 扉を開けると、床の掃除をする宮崎さんが立っていた。

 いらっしゃいませ、と挨拶をし近寄ってきた彼女は、「よかったね」と一言言った。

「ありがとう」言葉では言い尽くせない気持である。

「早速切りますよ」隼人が言った。

 すると、春に隼人の頭に剃りこみを刻んだ男店員が、「お待ちしていました」と言って、店の奥から顔を出した。彼のエグザイル風の頭は健在である。後に宮崎さんから聞いた話では、別府という名前らしい。

「今日はいかがなさいましょう」別府さんが、隼人に注文を伺う。

 隼人は、上着のポケットから一枚の写真を取り出す。

「この人の髪型でお願いします」そう言って隼人は写真を差し出した。

 写真を覗いた宮崎さんが「ええっ」と声を上げる。

 一方、別府さんは余裕の微笑みをみせる。

 俺も写真を覗いて、思わず声を漏らした。

 これは、一体どういうことだ。

戻る

若樹先生に励ましのお便りを送ろう!!

                                             



inserted by FC2 system


inserted by FC2 system

inserted by FC2 system