『大仮装大会』

 退院の日。

 病室にはベッドの上に腰掛ける川内と、その脇にはわずかな衣類や日用品を詰めたボストンバックが置かれている。

「もう動けるんだな」

「ああ」川内は溜息をつくような声で言った

 退院直前なので当然だ。我ながら間抜けな質問である。

「ずいぶん痩せたんじゃない?」指宿が問う。

「そうかな」

 指宿の言葉通り、川内が愛用していた丈の合ったジャージも今ではブカブカになり、まるで一回りサイズが大きくなったような印象を受ける。そして以前のように手入れが行き届き艶の入った長髪は見る影もなく痛んでおり、みすぼらしい風貌に拍車をかけている。

 そんな川内の様子を見て、自分まで気落ちする事態に至らないのは、隼人が立ち上がり、任せろと言ってくれたおかげだろうか。

 情けない話だが、結局最後は隼人頼みだ。

 失礼します、と言って現れたのは清潔感のある白衣に身を包む若い看護師だった。これは目の保養になるな、などと悠長なことを思っていると、彼女は「先生から最後の診察です」と言い、「処方箋を作成するために」と付け足した。それを聞いて俺と指宿は一応退室する。

 廊下を出た矢先に、こんにちは、とあいさつをされる。

 待ち受けていたのは川内の祖母であった。

「この間は、感情的になってごめんなさいね」そういって彼女は頭を下げる。

「いえ」それより、彼女には聞いておかなければならないことがある。

「昨日、一次裁判が終わりまして、懲役四年の判決でした。彼女は控訴をせずに受け入れるみたいです」元よりこの話をするために訪れたのか、俺が尋ねる前に話を始めた。

 懲役四年。罪を免れない事は分かっていたが、やはりショックである。

「ただ、この事をあの子に伝えるべきなのか。勿論いつか判決が出ることは理解してるんでしょうけど」彼女は言い淀む。

 俺は返す言葉に悩んだ末、「話すべきです」と答える。

「そうですか」

「ただ、少し待ってもらえませんか。今はまだ川内も傷心のようですし」

 祖母は首を傾げ「少し、ですか?」訝しそうな顔をする。

「お願いします」俺は頭を下げる。

「別に構いませんよ。入院中はいつもお世話になってますし、そもそも頭を下げられるほどの事ではありませんよ」彼女は言った。

 後は隼人が来るのを待つのみだ。

 丁度、窓が揺れた。桜島の噴火による空振によるものである。鹿児島に越してきたばかりの頃は驚いたものだが、今では慣れたものだった。

 窓を覗くと桜島の火口からゆっくりと灰が昇っていく。灰以外は雲一つなく、不吉な予感など微塵も感じさせない青空だ。

 時計の針が午後14時を回ったころ、病室から中年の男性医師が出てきた。

「それでは」彼は軽く会釈をして去っていく。遅れて出てきた若い女性看護師は川内の手荷物を抱え、続けて川内と祖母が現れた。川内は俺を見て、「ありがとう」と呟くように言った。その言葉はまるで別れを告げるようなニュアンスで、胸が締め付けられる。

 彼はそれ以上の言葉を発することなくエレベーターへ歩き始めた。

 すると隼人と連絡を取るために捌けていた指宿が戻ってくる。

「どうだった?」

「だめ」彼女は首を横に振る。

 隼人には大まかな退院時刻を告げたのみで、詳細な打ち合わせは行わなかった。それは彼に対する信頼によるものと、隼人自身、俺達にも秘密にしたいとの希望があっての事である。

 しかし、よもや間に合わないなんてことはないだろうか。

 ここにきて俺は焦りを感じ始め、早足で川内を追いかける。

 最悪、俺が何とかしなければならない。

 エレベーターの前に立つ川内の元へ着き、声をかける。

「見ろよ、快晴だ。何というか祝福されてるみたいじゃないか」

 何て気の利かないセリフだろうか、我ながら呆れてしまう。

「桜島は怒ってるみたいだけどな」噴煙を上げる桜島を指して川内が言った。

 気の利いたセリフだ。しかし笑えない。

 一般用エレベーターのドアは固く閉じたまま、中々開かない。おかげで話しかける隙は生まれたが、これ以上川内に掛ける言葉も見つからない。全てが裏目に出てしまう気がする。事実、川内を励まそうとして、裏目に出ているのだ。

 本当は川内をこのまま放っておくべきなのではないだろうか。それが彼にとっても、一番良い事なのではないか。

 この期に及んで弱気になり、葛藤を巡らせていると、エレベーターのドアが開いた。

 俺達はエレベーターに乗り込み、ゆっくりと追いついてきた指宿が入ると、看護師が開延長を解除する。ドアの脇に設置された液晶の数字はみるみるうちに減っていく。

一階へ到着しドアが開くと、川内は無言のまま歩き始める。

「このままではまずいんじゃないか?隼人も来る気配がない」俺は指宿に声をかける。

「何か話しなさいよ。別に川内だって話したくないわけじゃないと思う」指宿が肘で小突きながら言う。

「分かってるよ」分かっているが、術がない。そうだ、超能力は?

 俺は脳裏に浮かんだ言葉をそのまま指宿にぶつける。

「三年に一度しか使えないって」彼女は呆れるように言った。

「そうじゃなくてさ、何か別の超能力なら使えるって、前に言ってたじゃないか」俺が言うと、指宿は妙な表情を浮かべる。

 一体、何だ。その顔は。

 指宿は「ごめん」と言い、「あれは冗談だったんだよね」と申し訳なさそうな顔をする。

 何だ、それは。

 指宿の言う事は、何が真実で、虚構なのかますます分からなくなる。コペルニクスでのダーツがフワフワと重力を無視して浮かび上がったあの光景は幻だった。そんな気さえしてくる。

 頭が痛い。異界にでも迷い込んだ気分だ。

 指宿め、こんな時に何てことを。

「何にしてもさ、隼人が遅れるなんてヘマをすると思う?」

 俺を現実に呼び戻したのも指宿の言葉だった。

「それは」どうだろうか?

「隼人は鹿児島都知事を目指す男だから、そんなことはしない」彼女はそう言い切った。

 理解に苦しむ言葉である。

 指宿にとっての鹿児島都構想とは、隼人に対する信頼の象徴ということだろうか。ともかく、隼人への信頼は相変わらず深いようだ。

 彼女の言葉を反芻して冷静になってみれば、隼人がそんな失敗をするとは確かに思えなかった。

 そんなやり取りをしているうちに、玄関まで着いてしまう。

「それでは、お大事に」看護師は一言発した。

 規模の大きい病院の割に寂しい見送りだった。

 俺は看護師から荷物を受け取る。祖母が受付で駐車料の清算を済ませるのを見届け、外へ出る。

 700台近くの自動車を収容できる広大な一般者専用の駐車場を祖母の後について歩いていると、俺達の傍をノロノロと走る軽トラックに気が付く。駐車スペースでも探しているのだろうか。

 しばらく歩いた後、「この辺りに停めたんですけどね」と祖母がはっきりしない様子で言う。

 シルバーのワゴンRらしいが、車に造詣のない俺はピンと来ない。とにかく軽自動車であることを告げられ、あたりを見渡す。それらしい車はいくつか見つかるが、やはり見分けがつかない。

 俺が車探しに難渋している中、「あれじゃないかな」と指宿が指差す。その先へ祖母が目を向けると、「ああ、そうです」と言って車に向かう。

 いよいよ時間がない。ここで何もせずに終わる訳にはいかないのだが、今更出来ることなどあるのだろうか。

 そんな葛藤をしていると、通路の脇を歩く俺達の真横に先程の軽トラックが停車した。

 良い駐車スペースでも見つけたのだろうかと、ふいに目を向ける。

 軽トラックの荷台には白い大きな布が、何かを覆っていた。

 その時、荷台の辺りから「お待たせしました」と肉声が響く。

 この声は。

「あんまり長い時間止まっていると迷惑なので、さっさと始めますよ」この口調と低い声質は紛れもない、隼人のものだ。

 一体何が始まるのか。指宿も、そして川内も視線を奪われている。

 聞き覚えのある小さなモーター音が聞こえてくる。間もなくして、荷台を覆う布が浮かび上がる。指宿の超能力を思い出すが、そうじゃない。

 布の更に上、そこには。ドローンが揺れながら浮上している。

 どうやらドローンが布を持ち上げているらしい。しかし、小柄な機体ながら、あのサイズの布を持ち上げるとは、中々の性能だろう。

「なんだよそれ」川内が布の中から現れた物を見て、そう呟いた。

「何よ、その恰好」次に言葉を発したのは、指宿だった。

 布の中から現れたのは、浴衣姿の隼人だった。

 彼は手に手綱を持ち、綱の先には犬の置物があった。元来のふくよかな体形と、美容室で角刈りにあつらえた髪型のおかげもあり、今の隼人の姿はまさに。

「西郷隆盛、ですか」祖母が言う。

 その通り教科書や天文館で見る、あの西郷隆盛を彷彿とさせる姿だった。

「今日は待望のハロウィンですよ」隼人が叫ぶように言った。

 アクアリウムカフェを堪能した日。川内が仮装パーティに参加しようと持ち掛けてきたことを思い出す。律儀な奴だと思った。

 その言葉を聞き、フッと鼻を鳴らし川内は、そのまま大きく笑い始める。そんな川内の様子を見て、常に引き攣っていた祖母の表情は次第に柔らくなっていく。

 つられて指宿も笑い始める。皆の反応通り、何とも滑稽な格好である。

 隼人の愉快さと、思いやり、どちらが川内の琴線に触れたのか定かでないが、一先ず彼の憑き物が落ちたようだ。いや、正確には俺達全員、隼人に救われたのかもしれない。

 そう思った後、俺もひとしきり笑った。

「このままでは迷惑なので一度駐車しましょう」それを合図に軽トラを停める。

「なんで西郷隆盛なのよ」車から降りた隼人に指宿が尋ねる。

「鹿児島の偉人ですから、まさしく鹿児島の力ですよ」

「浴衣と軽トラはどうやって用意したの?」

「レンタルです」

「ところでさ、あの犬はなんだよ?」川内が尋ねる。

「西郷隆盛は犬を連れてますよ。ちなみに荷台の犬は火山灰を固めて作りました。まさに鹿児島の力ですよ」徹底したこだわりである。

 帽子とサングラスを着けた人物が運転席から降りてくる。そして「驚いた?」と言って顔を表した。まさか、宮崎さんまで関わっていたとは。

「宮崎さんのおかげで、無事に成功しましたよ」隼人が言う。

「みんなを驚かせようと思ってね。ドローンの操縦まで頼まれたよ」宮崎さんは得意げに言うが、もし通報されたら、言い逃れのしようはないだろう。

「ちなみに、犬を連れてるのは上野公園の銅像だよ」

「え」と隼人が言い、「気づいていたのなら先に教えてくださいよ」と嘆く。

 そんなやり取りを見て、川内は再び笑い始める。そして、「おもしろいよ。隼人」と彼は一言、言った。

「別に笑わせるつもりはなかったんですけどね」隼人は無愛想に答える。

 笑い声をあげる川内を見て、俺は正直、飛び上る程に嬉しいのだが、彼に良かったと声をかけるのも野暮な気がする。

「昨日、外出した時にスターウォーズのコスプレ集団が居たんだよ。キャラクターの名前までは分からないけどさ、全身金箔の男もいてさ。笑ってしまったよ。本当に新作やるみたいだな」

 川内はせきを切ったように話し始める。

「俺はまだ生きてる。人吉さんは牢獄の中、最悪の結果だよな。俺の痛みは薬で止まっても、人吉さんの傷は薬じゃ癒すことはできないんだ。俺が死ぬべきなのかとも思ったけど、何の解決にもならない。だから今は、人吉さんが帰ってくるのを待とうと思う」

 彼は懺悔するかのように言って、涙を浮かべた、気がした。

 俺達は、川内の言葉に頷く。

 川内は、きっと無理をしている。もしかすると、隼人もそうかもしれない。それでも、隼人のおかげで、また四人揃って笑う事が出来た。

 だから、今はこれでいいのだと思う。

「そういえば」隼人が折を見て、話を切り出す。

「宮崎さんはどうしてドローンが操縦できるんですか?」彼は首を傾げる。

「霧島君が高校時代に学校で学んでたみたいで、この間、教えてもらったんだよ」

「初耳ですね。僕にも教えてくださいよ」隼人は口を尖らせる。

 どうしたものか。

 精神的に痛めつけられる事態が続き、必死にもがいた結果、解決したことは少ない。

 それでも俺達の関係が元に戻り、一先ず安心するのだが、今の俺達には仲間内を助け合う事がやっとであり、鹿児島都構想を叶えることなんて、当面、出来そうにないと思い知らされた秋の季節だった。

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