『ハロウィンパーティへ行こう』

 些細なことで辛いと嘆く人間に対して、容易くそんな言葉を使うべきでないと批判する人間は多い。しかし、その批判者達も大概は本当の挫折と絶望を経験してはいない筈だ。

 結局のところ、真の悲劇を知る者など世の中には早々居ないのである。だが、この秋、俺達の間で起こった出来事を形容するならば、それは悲劇と呼ぶに他ならない。

「あっけなく撃沈したわけか」俺が言うと、指宿は「そう、撃沈」と返した。

 

 隼人により開かれた集会が終わり、帰宅している途中のこと。俺は突然、指宿から「少し飲みに行こう」と誘われ、一時も迷うことなく承諾した。

 そして今、騎射場にある居酒屋で盃を酌み交わしている。

「霧島なら分かると思ってたんだけどなあ」

 この日指宿は、やけに酒の入るペースが速く、大層饒舌になっていた。

 そんな彼女が自らの失恋について語り始めたのは、今日の指宿はどこか様子がおかしい、と疑念が湧き始めた矢先の事である。「

 無論、失恋の相手とは、かの傍若無人、隼人であった。

 指宿は「回りくどく話しても意味がないから」と前置きをして、「この前、隼人に告白した」

 そう言った彼女は恥じらう様に頬を染めている。いや、実際、指宿の顔が紅潮しているのは恥じらいでなく、旬の赤霧島を休みなくグイグイ呷っている為である。ここで指宿が羞恥心を見せたのであれば、どれ程可愛らしいことか。

 指宿が「告白した」と説明不足な言葉で話したのは、隼人に対する彼女の好意が周囲に伝播していると薄々気づいている為だろう。ともかく、俺は心底驚いた。

「それで?」俺は遠慮なく尋ねる。

「撃沈した」指宿はあっさり言った。

 彼女があまりにも抑揚なく深刻な話をするため、俺は事の重大さを器用に捉えることができず、「それは残念だ」と軽々しく返してしまった。

「それにしても突然だ、一体どんな経緯で」

「別に、ただ二人きりになる機会があったから。ふと思い立って」

 大したものである。

「何て言ったんだ?」俺は他人との境界線を容易く踏み越えていく童心に返った気分で、ズケズケと探る。

「好きだから、付き合って」指宿は平然と言い、赤霧島を再度呷る。

 随分、直球だなと思い、俺の方が恥ずかしい気分になる。

「返事は、私の事は好きではないです。あくまで異性としては好きではありません。だってさ」彼女は淡々と言った。

 どうやら直球試合だったらしい。お前達は藤浪と大谷か。

「あっけなく、撃沈したわけか」

「そう、撃沈」

 指宿が爽やかに話を進めたため、隼人のいけ好かない態度はともかく、後味の良い失恋話となった。それにしても先程まで開かれていた集会では、そんな気配は微塵も感じられなかった。つくづく大したものである。

「ところで、霧島は例の宮崎さんとは仲良くしているの?」

「まあ、普通だね。まるで波もなく」

「そうなんだ」

そういえば指宿と宮崎さんは一度も対面していないことを思い出し、今度食事の計画でも立ててみるか。と思った。

「川内はどうなの?」指宿が再び話題を変える。

「人吉さんとのことだよね?」と尋ねると、「そう」と頷く。

「それが、最近は何やら険悪らしい。川内もいま一つ理由が分からないみたいで参ってるらしい」

「そうなんだ。川内達は問題ないと思ってたけど」

 確かに。夏に初めて人吉さんと会った時に聞いた話には思わず感動してしまったし、二人を見ていると揺るぎない関係だと感じたものだ。そして何より彼らは結婚を誓い合った仲である。

「まあ、長年連れ添う夫婦だって喧嘩することなんてよくあるだろうし」我ながら月並みな発言である。指宿も、「そうだね」と返すだけだった。

 指宿は赤霧島のボトルを傾けてグラスに注ぎ、何杯目かの水割りを作り始める。

「ところでさ、霧島は心を開くようになったというか。社交的になったよね」

「そうかな」突然の指摘に驚く。

「入学したときは冷血漢というか。我関せず、みたいな所があったけど」

 俺は何と答えた物か分からず、「ううん」と唸り、「だけどそういう指宿だって、大分打ち解けてきたんじゃないか」と返す。

「そうかな」

「良くも悪くも、お互い成長してるんじゃないか?」いろいろな経験を経てと言いそうになるが、碌な経験をしていない気がする。

「かもしれない。隼人も少し変わっていると思う」彼女は意味深に言う。

「隼人が?」そうだろうか。

「うん」

「今日だってイスラム国について独自の解釈で長々と話してたけど」俺は酷い出来事を思い出すように言った。

「でも、何だか、ね」歯切れが悪く言う。

 隼人に想いを寄せる指宿にしか気づかないことがあるのだろうか。

 入学以来、隼人は多くの揉め事を引き起こしたり、巻き込まれたりしてきたが、一貫した姿勢を保っている様に思えた。しかしその姿勢を支える芯は俺の気づかない所で少しづつ蝕まれていたのだ。

 そして、彼の自信を圧し折る出来事がこの秋、待ち受けているとは未だ誰も知らない。

 文学部棟の中庭にあるベンチに腰掛け、トイレへ行ったきり中々戻らない隼人に待ちぼうけを食らっていた。

 俺はぼんやり辺りを眺めていると、校舎の合間から覗く保存樹林が茶色く変わり始めている事に気付き、季節の変遷を思い知らされた。

 そんな呑気な思いに耽っていると、校舎の玄関側から隼人がドカドカと駆け寄ってきた。

「ついに見つけましたよ、ドローン男を!」

 隼人は子供の様に目を輝かせて言った。まるで俺がドローン男の正体であるかのような物言いで動揺してしまう。

「ドローン男が、こんな所に?」

「間違いありませんよ、他に目撃者がいないのが残念ですが。僕が校舎から出た瞬間にそこの物陰から飛び出してきたんですよ、追いかけようと思いましたがドローンは直ぐに校舎を超えていったので見失いましたよ」

 隼人は玄関の真向かいに置かれたゴミ箱を指差す。

「本当か、俺は気づかなかったけど」

「残念ですね、ドローン男を探すのに夢中で霧島に声をかける余裕がありませんでした」

「だけどさ。本当にドローン男なのか?他の学生が遊んでいたのかもしれない」

「構内でドローンの使用は禁じられていますからね。その規則を破ろうとする猛者がこの大学に居るとは思えませんよ」

「猛者ときたか」ただの常識知らずではないのか。それにしても、妙に詳しい。

「市販のドローンは良くて200m位しか飛ばせませんからね、構内に潜んでいると思いますよ。しかし、ドローン男は神出鬼没の英雄ですので我々が容易く見つける事はできませんけど」

 英雄か、隼人のドローン男に対する信仰心は計り知れないな。

「他に目撃者が居れば騒ぎになっていただろうな。普通に警察沙汰だ」

「誰にも目撃されない所がドローン男の凄いところですよ」隼人は自らの功績を語るかのように満足そうな顔をした。

「遅かったじゃないか」川内は仁王立ちをして待ち受けていた。その隣には人吉さんが立っている。

「隼人のトイレが長くてさ」

「ドローン男が悪いんですよ」隼人が言う。

「一時期ニュースになってた、あのドローン男?」川内と共に待っていた人吉さんが訊ねる。

「ええ、敬愛するドローン男です、彼の思想と実行力には感服しますよ」

「敬愛する人を遅れた理由に使うなよ」川内が突っ込む。

「遅刻の常習犯に咎められたくありません」隼人は間髪入れずに食い下がる。

 俺達はドローン男の話題を終えると、川内と待ち合わせをしていた天文館のアクアリウムカフェへ向かった。川内が最近見つけた店で名前の通り水槽が飾られたカフェらしく人吉さんが凄く気に入っているとのことだ。

「月末さ、この通りでハロウィンパーティがあるんだよ」店までの道中、川内が言った。

 ここ数年、ハロウィンのイベントが都会を中心に広がりつつあるようだが、とうとう鹿児島まで浸透していたのか。

「以前は知る人ぞ知る、奥ゆかしいイベントだと思っていたのですが。いつの間にか敷居の低い催しになってしまったようです」隼人は嘆かわしく言った。厳しい意見だが、少し同意してしまう。

「昔の事は分からないけど、皆で仮装して参加しようぜ」川内は言った。

「遠慮します」隼人が即答する。

 川内は隼人の言葉を気にすることなく、「楽しみだ」と言った。最初から俺達の意見を聞くつもりはないようだ。だが、正直、今時のハロウィンだって楽しみではある。

 俺達が和気藹々としている中、人吉さんがやけに口数が少ないことに気づく。川内から聞いた、彼女の様子が変わったという話は本当らしい。

 そうしている内に店へ到着した。どうやら店舗はビルの二階にあるらしく、俺達の立つ位置から水槽を覗き見ることができた。

「立ち話も何だし入ろうぜ」川内は相変わらず悪びれずに言った。

 階段を登って扉を開き中へ入ると、大小合わせて十個以上の水槽が並べられており、水槽の中の水が汲み上げられフィルターを通り、水面へと流れ込む音が店内に響いている。この景色と音色が作り出す空間は、まるで異邦の地に迷い込んだ気分にさせる。席に案内されるまで隼人と人吉さんはドローン男の話題を続けていた。

 席に着くと、「それにしても居心地の良い店ですね」と隼人は初めて店内の感想を口にした。どうやら隼人の中で話題が一段落したらしい。それを機に俺達は品物を決め、店員に注文する。

 各々が静かに水槽を眺めていると、「立派なバンドですねえ」と隼人が言った。

 俺は店内で流れている音楽の事を言っているのかと思ったが、天井から鳴っているのはクラシックであり、どうやら違う事を指しているらしい。

「隼人君、分かるの?」人吉さんが驚いた様子で目を見開いている。

「まあ、多少は存じています。この中では、そうですねえ、一番大きいデルヘッジのバンドは特に素晴らしいですね」

「でるへっじ?」話に着いていけず、俺は尋ねる。

 すると人吉さんが隼人の背後を指差す。

「その水槽にいる黒い縞柄のドジョウみたいな魚がいるでしょ。それがポリプテルスデルヘッジィ。ああ、バンドっていうのは体の縞のことね」と彼女は言った。

「はあ」

「マニア達は、そのバンドで固体を選別するんですよ」

「そうなのか」俺はついていけず、気の抜けた返事しかできない。

「この子は背中から腹部にかけて、随分とくっきりした線が入っているもので、思わず見惚れてしまいますなあ」

「ほんとだよ」隼人と人吉さんはしみじみと言い、俺と川内はついていけないなと、目線で共感しあった。

「選別されるってことはさ。バンドの悪い魚はどうするんだ?売れ残るのか?」ふと思い、俺は隼人に聞いてみる。

「あくまでも、バンドが良い物ほど好まれるというだけでね。我々は無闇に見捨てたりしませんよ。命は皆平等です」

 そんな大それた返事が聞きたかったわけではなかったが、隼人らしい返答だと思った。人吉さんは深々と頷いている。

「しかし、どうしても売り残ってしまう個体は処分されるみたいですね」

 処分、という言葉が大変物騒なものに聞こえた。

「切ないな。命は平等じゃないのかよ」川内が言った。

「命は平等でも、その価値はどうでしょうか。この前、欧州で悲惨なテロがありましたね」

 俺がまさかと思っていると、川内が「講義の時間だな」と耳打ちしてくる。どうやら隼人の心に火が付いたらしい。すると丁度良いタイミングで店員がコーヒーを運んできたため、隼人は話を止めコーヒーを啜り始める。

 これで免れたかと思ったが、彼はすぐにカップを置きすぐに話を再開した。

「犠牲者は百人以上と大変悲惨な出来事で日夜トップニュースになって、鹿児島でも追悼行進が行われるほどの騒ぎですよ。すると騒ぎに乗じたSNSの創始者が被害国の国旗を掲げるシステムをSNS上に構築して、今ではネット上では世界中の人が旗を掲げてますよ」

「隼人、SNSなんてやってたのか」

「ニュースで聞いた話です。だけど、おかしいと思いませんか?中東では休むことのないテロや紛争で欧州以上の犠牲者が増え続けているんですよ。どうしてSNSの創始者は中東を悼まないのですか?」

「中東の戦争に介入しているのが創始者と同じアメリカ人だから、立場上難しいんじゃないか?」

「流石は霧島ですね、鋭い。いずれにしてもね、立場など関係なく、創始者は中東に対して何らかのアクションを示すべきなんですよ」

「例えば?」人吉さんが興味深そうに訊ねる。

「そうですね、中東への介入を止めろとメッセージを示すのは如何でしょうか」

「それは、斬新だな」と感心すると「非国民だと罵られそうだけどね」と人吉さんが言う。

「話が逸れてしまいましたけどね、このシステムを構築したSNSの創始者とそのシステムを利用している人々を見ていますとね、彼らが無意識であるとしても命の価値というものは平等視されていないのだと感じて、やりきれません」隼人は溜息をつく。

「勿論、今回のテロは許されがたいものですし、犠牲になった人々のお悔やみを忘れてはいけませんが」彼は最後にそういうと黙祷し合掌した。

 今回も長い講釈だったなと川内に目配せする。

「相変わらず難しい事ばかり考えてるな」川内が感心したように言う。

「本当だね」と人吉さんがあまりに弱々しい語調で言ったため、何事かと顔を覗くと彼女の表情にどこか影が差しているように見えた。

 人吉さんは自分に視線が集中した事に気付き、「いや、大丈夫だよ」と取り繕う。

 すると隼人は「すみません、人吉さんの前でこんな話は不適切でした」とはっとした様子で言う。しかし間もなくして、彼女は席を立った。

 俺達は無言で彼女を視線で追い、トイレに入る彼女を見届けた。

「すみません、僕が余計な話をしたばかりに」隼人は急に萎らしくなる。

「いや、それだけじゃないと思う。前にも話したけど、ここの所、様子がおかしいんだよ」いつの間にか川内まで気を落としているようで、言葉に力がなくなっている。

「とにかく気にすることはないよ」

 いつになく弱気になっている川内を見ると、事態は予想以上に深刻そうだと思った。

 外に出ると、完全に陽が沈んでいた。

 同じ天文館の中心から離れているため、人通りはまばらだった。

 駅までの帰り道、隣を歩く人吉さんも先程と比べると調子を取り戻しているようで、俺は彼女と取り留めのない話をしながら歩いていた。

 横断歩道を渡り、車道の中間にある電停で電車を待っていると、「そういえば、さっきの隼人君の話だけど」と人吉さんは話し始める。

「命の価値とか、そういう難しいことは、正直分からないけど」

「はあ」そう言った時、人吉さんと川内の乗る電車が到着する。

「命には主観的に見て軽重があって、それは大きく変化してしまうこともあるんだよ」

 一体何の話だろうか、人吉さんも十分難しい事を言っていると思った。

 返す言葉を考えていると「早くしないと、電車が行っちまうぞ」と川内が人吉さんに催促した。

「ごめん」人吉さんは川内に言い、俺に手を振りながら駆けていく。

 線路を軋ませながら走る電車を見送った後、俺は隼人に顔を向ける。

「大丈夫だろうか、あの二人は」

「仲は良さそうに見えますが」

 結局、人吉さんの真意は分からず終いであった。

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