『聖戦』

「こんばんは」

 男は階段を下りると、軽く会釈をする。

 素人でも一目で価値の高さが分かるスーツを身に纏い、目を合わせるだけで相手を怯ませる程、強い雰囲気を醸し出すその男は、夏に一悶着のあった社長、聖木であった。

「どうして社長が」川内が言った。

 それに答えようと指宿が口を開こうとしたとき、これ以上、彼女に労力は使わせまいとする思惑か、それを聖木が制する。

「君達、いや、隼人君とどうしても話したいことがあってね、指宿さんにお願いをしたんだ」

 聖木は指宿に本名を教えてもらうまでの関係らしい。それにしても未だ、この店に通い詰めているとは思わなかった。なぜそれほどまで彼女に執着するのだろうか。確かに指宿の女性的魅力を考えると、彼の気持ちも分からなくはないが。

「指宿、どういうつもりですか。僕はこの人とは袂を分けたつもりなんですけどね」

「普段から世話になってるし、隼人達だって聖木さんには一度助けてもらったでしょ」

 正論である。ぐうの音も出ない。流石の隼人も口を閉ざす。

「さて。思うところもあるだろうが、少しだけ聞いてほしい」

 聖木は自分の立場を振るうことなく、低姿勢で話し始める。

「私の会社は、ある大手会社から独立して作った会社なんだ。それが先日、独立元の会社から、吸収合併の取引を申し立てられてね。私の経営権を掌握されるところだったんだが、子会社化で契約を締結できたんだよ」

 吸収合併と子会社化、何が違うのか。聖木の言葉はほとんど理解できず、彼が一体何を言わんとしているのか、分からない。

「そこで今回の流れを契機に親会社が都市圏に新たな支社を設立する事になって、その支社の経営者として白羽の矢が立ったのは、私だったんだ。つまり今後は実質、二つの組織を運営することになり、まあ、忙しくなる」

 ただの現状報告なのか?いや、そんな事で呼び出したりはしないだろう。

「そこでだ、今、どうしても私を支える優秀な人材が必要なのだが。そこで是非迎え入れたい人材がいてね。それが指宿さんなんだ」

 聖木の指宿への執着は彼女の能力に対してのものだったようだ。指宿の女性的な魅力ばかり考えていた自分が恥ずかしくなる。しかし、迎え入れるというのは。

「それ、どういう意味だよ」川内が言う。

「回りくどい言い方をしたつもりはないけどね」

 聖木は首を傾げる。

「つまり、会社の立ち上げが始まる。来週から指宿さんには私と一緒に都市圏に来てほしいんだ」

 来週?俺達は口をそろえて言った。話の方向が急に変わった。

「来週からって、どういうことですか?指宿はまだ学生じゃないですか」俺は言う。

「そうだよ、せめて卒業まで待つとかさ」川内が続けて言った。

 すると、聖木は得意の眼力で俺達を制止する。

「いいや、待てない。私は彼女を秘書として、妻として迎え入れたいのだよ」

 相変わらず、我慢弱いようだ。それより、彼は更にとんでもないことを言ったような。

「妻、ですか?」隼人が言葉を零した。

 聖木は腕を組む。

「未来ある学生を県外まで連れていくからには責任をとるべきだ。それだけでなく、彼女を女性としても恋い慕っているんだよ」

 彼は更に凄みを増して言い放つ。なんとも大胆な発言である。

 一方、指宿は事前に話を聞いていたのだろう、涼しい顔をしている。

「恋い慕うってどういう意味?」川内が呟いた。

「とにかく君達、特に隼人君。君に伝えないわけにはいかないんだよ」

 聖木は語気を落とした。

「何故ですか?」隼人が言った。

 確かに、わざわざ俺達に話す必要があるのだろうか。俺達に公表する事は無駄な障害を自ら作っているようなものだ。

「そうだね」聖木は少し考え込んだ後、話し始める。

「このフルムーンで、指宿さんと初めて会った時から、同級生の武勇伝を頻繁に話してくれたんだよ。毎回、刺激的な内容ばかりでね、一時期はその話題を聞くためにここを訪れた位だ。そして0ある日、君たちがフルムーンに現れたんだ。最初はなんて失礼な奴等だと思ったがね。一悶着経て、指宿さんを店外に連れ出された後に気づいたんだよ。彼こそが武勇伝の主人公だったんだとね。勿論、悔しかったけど、それ以上にあの刺激的な世界に少しばかりでもお邪魔させてもらえたことが、光栄だったんだよ」

 そう言って聖木は心底うれしそうな顔をする。

「君達が悪いようにならない為、店長に口を聞いたのもその為だよ」

 成程。何故聖木が俺達を助けてくれたのか今日に至るまで謎のままだったが、そんな背景があったのか。俺達に迷惑を被られた事を光栄に思う聖木の感情には、いま一つ共感できない。とにかく夏に俺達は指宿を助けたつもりでいたのだが、その実は彼女に助けられていたことになる。情けない話である。

「それと同時に、指宿さんの隼人君に対する感情について気づいたのさ」

 聖木は遠回しに言ったが、敏感に反応した指宿の顔が引き攣った。無論、それは恋愛感情である。

「気づいたからには、一度、こうした形で隼人君と話をつける必要があると思ったわけだよ」

 遂に、聖木が俺達を招いた理由が明らかになったわけだが、指宿は以前、隼人に三下り半を下されているのだ。それに指宿は他の異性と関係を持ったことがある。

「指宿さんの返事はまだ聞いていないし、隼人君が存じている様に、細々した事情もあるとは思う。だがやはりここで、君と決着をつけずに前には進めないのだよ。私にとって、これは聖なる戦いなんだ」

 聖木は指宿と隼人の事情についても多少は知っているのかもしれない。そして彼女の隼人に対する未だ冷めぬ想いにも気づいているのだろう。

 一方、隼人が現在どんな心情なのか、測り知ることは誰にもできていない。

「随分長々と話してしまったが、次は隼人君の番だ。君の言葉を聞いた上で、指宿さんに答えを出してほしい」

 聖木は隼人にバトンを渡した。

 指宿を振った秋から時が経った今、隼人の心情は好転しているのだろうか。そうでなければ、今回の聖木の申し立ては成立しない。ともかく俺達は隼人に視線を集める。

「指宿が僕に告白した日、途方もない事を言っているけど、ひたすら行動に移す所が良いって言いましたよね」

 隼人は、恥ずかしい事を包み隠さず言った。「ちょっと」と指宿が口を挟む。分かりやすい動揺だ。

「でも、行動した結果。原発を止める事はできませんでした。そんな無力な自分が指宿の好意を受け止める事なんてできなかったんですよ」隼人は弱々しい口振りだった。

「先日、再び現れたドローン男にも大した感慨が湧きませんでした。最早、今の僕は以前とはまるで別人ですよ。だから、指宿に言う事だってありません」

 隼人はどこまでも力なく言った。

「わかった」聖木は残念そうな顔をして言った。事情が分からないまでも隼人の心境を察したのか、拍子抜けさせられたことに対して罵るような事はなかった。

 急に沈黙が訪れ、寒さを感じるようになった。寒気を忘れるほどに緊迫した時間だったようだ。しかし、終わり方は実に呆気なかった。このまま指宿は聖木とともに都市圏へと旅立ってしまうのだろうか。そして、俺が考えていた以上に隼人が弱っていることを知ってしまった。この短時間で大きな不安が一気に募ってしまった。

「ちょっと待ってよ」

 突然、指宿が口を挟んだ。

「原発を止められなかったとか、ドローン男が逮捕されたことで自信を無くしてるのかもしれないけど。根本は変わってないんじゃないの?」

 指宿はムキになっている。

「根本ですか?」

「そうよ。どれだけ自信を無くしても、大志を抱いてる。鹿児島都を作るっていう。その根本、隼人の精神は変わってないでしょ」

 彼女の声は次第に震えていく。

「それに、感慨がわかなかったなんて嘘だよ。だって、天文館にドローンが現れた時だって、真っ先に飛び出して言ったじゃない」

 指宿が必死になる様子を見て、俺達は閉口する。それと同時に、俺は何か懐かしい感覚に襲われた。この感じはなんだっただろうか。

 ゆっくりと記憶を辿る。

「それだけじゃないよ、」指宿が続ける。

「もういいです」弱々しい隼人の言葉が指宿を遮った。

 この感覚は、そうだ。

 あの春の日に、コペルニクスで指宿が隼人を立ち上がらせたときの、昂るような感覚だ。

 再び沈黙が訪れた。隼人は腕組をする。

「聖木さん。貴方に指宿を連れていかれては困ります。なぜなら」隼人は言葉を止め、息を吸った。

「指宿には、僕が大志を成就させる姿を見届けてもらいたいんですよ」隼人は力強く、吠えるように言った。

 大志という多少ぼやけた言葉を使った所をみると、完全復活とはいかない様だが、少なくとも指宿のおかげで立ち上がることができたのだろう。

 俺も憑き物が落ちたような気分だ。明確な意図はなかったにしても、最後に隼人を奮い立たせることができるのは、やはり指宿しかいないのかもしれない。

「お似合いだな」川内が口を滑らした。

 確かに、彼の言う通りだと思った。しかし、聖木との勝負であることを思い出せば、これでようやく隼人の番が終わったことになる。次は指宿の審判に移るといったところか。

「ここまでだ。十分伝わったよ」聖木は伐り出す。「これ以上は聞くのも野暮ってものだ」

 彼は指宿の気持ちを悟ったかのように言った。

「結局、隼人君には敵わないな」彼は微笑んだ。

「ごめんなさい、聖木さん」指宿が思い遣るように囁く。

 聖木は指宿を見つめて口を開き、「職業病みたいなものだな。誰にでも手を差し伸べるものじゃないよ」と厳しい口調で言った。

「それでは失敬するよ。時間を取らせてすまないね。これは負け惜しみや強がりみたいなものだが、中々、スリリングな体験ができた。感謝する」

 そう言って、聖木は天文館の人混みに入っていく。今生の別れを告げるようだと思った。

 俺は、いや、もしかすると全員かもしれない。心の中で聖木へお詫びと感謝の言葉を送った。

「さて、久しぶりに四人揃ったことだし。どこか寄っていきますか」

 しばらく四人とも立ち尽くしていた所、川内が言った。

「いいですね」隼人が応じる。

「でも、その前にもう一つよろしいですか」

「なんだよ?」

「まだ、遣り残した事があるというか、聖木さんは指宿を都市圏までつれていくからには責任をとるって言いましたよね」

「ああ」

「指宿を鹿児島に引き留めた以上は、僕も責任を取るのが、筋ってものじゃないでしょうか」

「筋って言い方はどうかと思う」指宿が言った。

 確かに風情の欠片もない。

「ちょっと待った」川内が口を挟み、「続きは二人でやってくれ」と言って、俺の腕を引く。

 俺は川内に大人しく従い、この場を後にする。 

 常に予想の斜め上を行く隼人であっても、ここから先の展開は想像に容易い。

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