『シーズンフィナーレ』

 俺は右側へ身体をずらし鈴木の拳を間一髪交わすと、彼は態勢を崩し、俺の横を過ぎていく。慌てて振り返ると、鈴木もこちらを向きなおした。

 指宿が駆け寄ってきて、「ちょっと、大丈夫?」と言った。

「なんとか。あいつ、鈴木だよ」

「鈴木って、あの?」

「そうだ」

 入学当初にコペルニクスで出会って以来、俺達に度々牙を向け、遂には人吉さんにまで魔の手を忍ばせた、鈴木だ。まさか、ここまで彼との悪縁を断ち切れないでいるとは。

「今日は二人か」鈴木は籠った声を出す。

 しかし、今の鈴木は、いつになく禍々しい雰囲気を放っている。それは彼の小汚い身なりだけが原因ではないようだ。

 再び彼と視線が交わったとき、理解した。

 彼の異様な雰囲気の正体は大きく見開き、焦点が外れ血走った鈴木の瞳にあった。その瞳から伺える事は一つ。

「あいつ、正気じゃないよ」俺は指宿を仰ぎ、一歩ずつ、後退する。

「許さない」彼は怒気の混じる声を出す。

 その言葉から得体の知れない恐怖を感じた。

 しかし、それと同時に俺の中でふつふつと怒りが沸き上がった。許さない、だって?

 どの口が言っている。人吉さんと川内を陥れ、果ては俺達全員を巻き込む騒動を起こした張本人は、紛れもない鈴木である。

「ふざけるなよ」俺の中の怒りが頂点に達したとき、自然に口を衝いて言葉が出た。

「お前のせいで、どれだけ酷い目にあったと思ってる?許せないのはこちらの方だ」

 次々に言葉が出る。

「ちょっと待ってよ」指宿が遮る。

「気持ちは分かるけど、喧嘩を買ってどうするの?勝算なんてないじゃない」指宿が囁く。

 確かに、俺は腕っぷしに自信などなく。これまでの鈴木との戦歴でも、俺に勝ち目のない事は明白であるし、鈴木を前にして冷静さを欠いているのも、自覚している。しかし。

「ここで引いたら男じゃないだろ」

「隼人みたいな事言わないでよ」指宿はあきれるように言った。

 それに逃げた所で再び鈴木に出食わす可能性もあり、何の解決にもならない。

「君達のせいで」

 鈴木が俺達の間に割り込むように話し始めた。

「君達に手を出したことがさ、組にばれてね。ほら、よく言うでしょ堅気に手を出すのはご法度だって。するとね指を詰められて、挙句は組を追われちゃったんだよ」

 以前から、ヤクザの人間ではないだろうかと考えていたが、正しかったらしい。そして彼は左の掌を見せた。言葉の通り、小指の第二関節より先を失っている。

 しかし、それがどうしたというのだ。

「自業自得じゃないか」俺は言い返す。

 むしろ、彼への報いとしては甘すぎるくらいだ。

「ついでに色々と事務所の物を持ち出してきたから、今も組織の人間に追われててね。住む家もないんだよ」そう言いつつ、ポケットから刃渡りの長い大きなナイフを取り出した。

 そして、彼がこちらへ刃先を向けたとき、息が詰まる感覚が生まれた。

「やっぱり無理だよ」指宿が言って、俺の腕を掴む。

 少しずつ歩み寄ってくる鈴木。確かに適いそうにない、逃げるべきだとやっと理解する。しかし、身体が動かない。この理由は簡単だ。

 俺は未だに、秋のトラウマから抜け出せずにいるのだ。

 川内の家で起きた悲惨な出来事のトラウマだ。

 いつしか、俺は腰が抜け、地面に崩れ落ちる。全身がマヒしているようで、少しも動くことができなくなった。

「ちょっと、しっかりして」指宿が嘆く。

 あれだけ大口を叩いたのに情けない。

 上手く呼吸することもできない。酸欠か、はたまた過呼吸なのか。鈍った頭が判断力を失わせている。

 意識が低下し、現実感が消えてしまった。

 いつしか、目の前まで迫っている鈴木。逃げなければ、確実に殺される。鈴木はナイフを構えた。

 隣にいる指宿に目を向ける、口を動かし、何かを言っているが、脳まで届かない。

 時間がスローに感じる。

 

ナイフは、まだ届いていないのか?それとも、刃先が腹部を貫通する感覚を認識できていないだけなのだろうか。

ゆっくりと鈴木を見る。が、そこに鈴木の姿はなかった。何が起きた?

 

「しっかりしろよ」

 声が聞こえた。誰かが俺の腕を引っ張り、立ち上がらせる。

「怪我はないか?」

 声の主へ目を向ける。

「川内」ようやく声が出る。

 徐々に思考が回復していく。

 どうやら川内が戻ってきたようだ。しかし、鈴木はどうなったのだ?そう思って視線を動かすと、地面に転がっている鈴木の姿があった。

「どうなったの?」俺は川内に尋ねる。

 彼は微笑んで「霧島こそ、どうなってるんだよ」と嫌味たっぷりに言った。そして俺と指宿の前に立ち、下がるよう手で合図を出した。

「まあ、後は任せてくれよ」そう言って、川内は軽く腰を落とし両腕の力を抜いた。

 何が起きたのか分からないままであるが、彼の落ち着いた後ろ姿を眺めるとこの異様な状況下でも安心してしまう。

 それは指宿も同じらしく、黙って川内を見届けている。

 ゆっくりと立ち上がる鈴木は、殺してやる、と呟く。完全に正気を失っている。

 鈴木は態勢を整えると、ナイフを川内へ向け、走り出す。川内は怯むことなく、ナイフを握る鈴木の腕を掴む。そのまま彼を引き寄せ鈴木の身体を地面へ叩き伏せた。

 鈴木と、彼の握っていたナイフ、そしてもう一つ何かが転がった。

「川内、今のって?」俺はまさかと思い、尋ねる。

「三、四年かかる」川内はこちらを振り返らずに言った。

「人吉さんは言ったよな。実戦で使えるようになるまで最低でも三年間」

 やはり。あの夏に人吉さんが披露した合気道だった。

「合気道を始めた夏から三年半経った。途中、入院して中断した時もあったけど、今では実戦で十分通用することが分かった」川内は嬉しそうに言う。

 あれから、三年半か。波乱万丈だった一年生の後期。宮崎さんと旅行に行ったり、隼人の弾き語りツアーに付き合った二年生。就職活動に明け暮れた三年生、有り余る時間を浪費し続けた四年生までの日々を思い返した。

「まだ、続けてたんだな」

 てっきり、三年前に止めてしまったのだと思いこんでいた。

「そうだ、これが俺の秘密ってわけさ」

 もしかすると、日々、合気道の道場に通っていたことを隠すためにサークルに入会したと嘘をついたのかもしれない。

「今度こそ、俺が人吉さんを守るって決めたんだよ」彼は言った。

 俺と違いナイフへのトラウマもなく、人吉さんと始めた合気道も現在まで続けていたとは、あまり格好良すぎる。

 未だに、ぬるま湯のトラウマを克服できていない俺と、ナイフを自分の身に受けていようとも立ち向かうことのできる川内、あまりに差がついてしまっている。

 鈴木が半身を起こし、何やらコートの中を探っている。そういえば、ナイフの他に何かを落としていたことを思い出す。その何かが転がっていた先へ目を向ける。

 鈴木の背後、2mほど先にあったのは。

「拳銃」指宿が呟く。

「本物?」川内が言う。

 そう言葉の通り、拳銃だ。彼が先ほど口にした、事務所から持ち出した物の一つの可能性が高い。そう考えると、恐らく。

「本物だよ」俺は答える。

 いくら上達した川内といえども、拳銃が相手では分が悪すぎるだろう。

 鈴木が拳銃の位置に気づき、素早く立ち上がる。それと同時に川内が駆け出す。しかし、この位置関係では、川内は間に合わない。

 何か、手はないのか。

 そうだ、三年間経って出来る事はもう一つある。

 初めて四人揃ってコペルニクスに行った日。指宿が披露した超能力。

「指宿、超能力だ」

「え?」

「三年に一度使えるんだろ、あれ以来、まだ使ってないよな?」

「ああ、そうだね」彼女は呑気に言った。そして腕を前方へ伸ばし、掌を空に向ける。三年前の春にコペルニクスで見せた時と全く同じ姿勢だった。

 指宿が姿勢を整えた時、鈴木の手は拳銃に触れる寸前だった。

 間に合ってくれ、そう祈ったとき、鈴木が拳銃を手に取る直前に拳銃が宙に浮いた。

 三年振りの超能力だ。

 二度目ではあるがやはり見慣れるものではない。月明かりに照らされながら夜空へとゆっくり登っていく拳銃をみな揃って眺めた。そして鈴木は拳銃に手を伸ばそうと、飛び跳ねながら腕を大きく振るっている。その姿は何とも滑稽であった。

「間に合ったね」指宿が言う。

 鈴木は拳銃を諦め、物々しい形相で川内を睨み付ける。こんな異常現象にも大して感情を動かさないほどに、彼は正気を失っているようだ。

 わずかばかり睨みあった後、彼は身をかがめ、川内に飛びかかった。

 川内はわずかに側方へ身をかわし、飛び込んできた鈴木の上腕を掴む。勢いを殺さぬよう、動作を止めることなく鈴木の身体ごと回転し、そのまま鈴木を投げ飛ばす。

 一瞬、鈴木は宙に浮く。そして彼の身体は河川敷の傾斜まで届き、転がり落ちていった。

 川内は、鈴木が落ちていった傾斜へ足を進めた。

 鈴木の事を案ずる義理はないが、俺も一応、様子を確認する。

 舗装の行き届いていない傾斜の先。川へ届く、一歩手前の位置に鈴木は倒れ込んでいた。気を失っているのだろうか、動く気配はなかった。

「ここまでにしてやる」川内は吐き棄てるように言った。

 俺と川内は、しばらく鈴木の様子を眺めた後。顔を上げ拳銃の浮かんでいた方へ視線を移す。

「まだ浮いてる」

 拳銃は微妙に揺らめきながら俺達の頭上を泳いでいた。

「すごいじゃんか、本当に何でも飛ばせるんだな」一仕事終えた川内は改めて感動を告げる。

 すると指宿は微笑み、「こんなこともできる」と言った。

 その途端、拳銃の角度がじわじわと変わり銃口が空へと向けられる。間もなくして一発の銃声が天文館に響き渡った。まるで鈴木との長きに渡る因縁の決着を祝う祝砲の様だった。

 俺達はその様子を眺め感激していたが、それは次第に不安へと変わった。

「これは、ちょっとまずいんじゃないか」祝砲などと言っている場合ではない。

 指宿は首に手を当て、「調子に乗っちゃったかな」と言った。

「まあ、こんな無茶ができるのも学生の内だけだな」川内がフォローする。

 いくら学生でも許されることではないだろう。

「それに大学生でいられるのも、あと一か月なんだ。大目に見ようぜ」

 あと一か月か。ゆっくりと降りてくる拳銃を眺めながら、俺は再び大学生活の思い出を振り返った。

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