『風吹けば灰』 | |
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春が過ぎ、鹿児島にドローン男が現れた梅雨も終わり、季節は夏を迎える。 天文現象のゴールドラッシュから早くも三年が経った、この夏。俺達は月面での攻防を繰り広げることになる。 ・ 七月中旬。 指宿と隼人の活躍により事なきを得たあの夜から一カ月半が経過した。 約一カ月半の間で生活の中に見られた変化といえば、大学生活にも慣れてきたこともあり俺はコンビニでのバイトを始めたこと。川内に紹介された美容室へ三週に一度は足を運ぶようになったこと。一人で街中を出歩く様になり、鹿児島の土地勘も身に付いてきたこと。大学では一コマ目の講義に欠席する堕落者が増えてきたことくらいだろうか。 バイトを始めても隼人たちと関わる時間は減るどころか、むしろ以前より増えている。そして、一コマ目の講義を欠席している者は、大学生活に慣れ夜遊びを満喫し、活動開始時間が朝から昼前へ移行しているのだろうが、川内達と夜遊びに耽っていても俺は必ず講義に出席するようにしていた。 美容室については二度目の来店時に宮崎さんからお願いされたものである。 「芸能人は三週に一度は美容師に通っているよ」との謳い文句であったが、俺は芸能人ではなくただの大学生だと思った。しかし彼女の誘いを無下にするのも心苦しいので、言葉の通り三週に一度は通うようになった。 そして、前期の講義もあとわずかになったとある日。大学付近にある居酒屋での出来事。 「今度、俺の許嫁に会わないか?」 突然、川内が言った。 俺と隼人、指宿の三人は箸を止める。 川内のスキャンダルも最近は耳にしなくなり、痛い目を見て少しは懲りたようだと先日、隼人や指宿と話していたばかりであった。 「どうしてそんな話になるんですか」隼人が不服そうに言う。 「散々悪さをしといて、今さら許嫁なんてよく言えるね」指宿は徐々に心を開いてきたためか、切れ味の鋭い毒舌を披露するようになった。 一瞬川内の表情が固まり、耳が痛いとでも言うように両手で耳を抑える仕草をみせる。しかし、すぐに手を解き普段の砕けた笑顔に戻す。 「皆の事を何度かあいつに話したらさ」あいつ、というのは許嫁のことだろう。 「凄く楽しそうな人達だから、ぜひ一度会って仲良くしたいって言うんだよ」 「そういうことなら考えないでもないですけど」隼人は嬉しそうに言う。 指宿も、へえ、とそげなく相槌を打つが満更でもない表情だった。 「そもそも許嫁の話は本当なのか」未だに俺は半信半疑である。 「そんな嘘ついてどうするんだよ」 こうなれば実際に会って確かめるまでは疑い続けようと思う。 「今では、すっかりあいつに一途だからさ。これまでの不祥事は水に流してくれよ」 川内が懇願するように言う。 俺たちは、それはない、ときっぱり断った。 ・ 「その娘の左手首に太いのと、細い傷が一本ずつあるんだよ」川内は焼き鳥の串を手に手首を切る動作をしてみせる。 話題は川内のバイト先にいる少女の自傷行為疑惑に替わっていた。 「なんでそんな所まで見てるんですか」隼人が問いかける。 「いや、手首くらい見えるだろ」川内は慌てて言い返す。 「どうだか」指宿が疑惑のまなざしを川内に向ける。 「ファッション感覚で手首を切る人とか、本当に追い込まれて手首を切って安心する人とか、人それぞれ居るって聞くけど」俺は偏見を持たれている川内を見て、いたたまれない気持ちになったため、適当な知識でフォローに回る。 「よく分からないけどよ、ファッション感覚でリストカットする人は大変だよな」 「なんで?逆じゃないのか?」俺が聞くと、川内はよくぞ聞いたという顔をする。 「だってさ。何かに追い込まれて手首を切る人には何か、外からの原因があるけどさ、ファッション感覚で切る人はただ、目立ちたい、構ってもらいたいとか。そんな理由だろ。要は性格に問題があるだろ。性格は早々直せるものじゃないからさ」川内は彼なりの考察を述べる。 「川内らしくないですね、やっぱり彼女に気があるんじゃないですか?」 「何でそうなるんだよ」 「でもね、精神科の先生からみたら手首とか切ってる時点で遊びと同じだってさ」指宿がビールジョッキを片手に言う。 「どういうこと?」俺は指宿に尋ねる。 「精神科に通院している患者さんとかはね。手首どころか、手の平から、前腕、上腕にかけて深く、長く切り込むらしいよ」指宿は右の示指で左腕をなぞりながら言う。 彼女の生々しい描写を想像して少し気持ち悪くなる。川内は「うへえ」と言い、顔をしかめる。 「指宿はどうしてそんな事を知ってるんですか。まさかテレビで得た浅はかな知識とは言わないでしょうね」隼人は何故か不機嫌そうに言った。 「バイト先にね、精神科医の常連客がいて、その人から聞いたんだよ」 バイト先という言葉を聞き俺と川内は何となく気まずくなり、言葉に詰まる。 指宿が持ち出す話題にはバイト先のお客様情報が多くなっている。 彼女のバイト先というのは天文館にある水商売の店で、バイト代が高く、且つ大学の規則内であるという理由で選んだらしい。 当の本人はさほど気にしていない様子だが、やはり俺と川内は色々と気掛かりである。 一方、隼人も全く気にしない様子で「本当にその人、精神科医なんですか?疑わしいですよ。僕だって必要があれば見栄を張って弁護士を名乗りますよ」と論点のずれた事を言う。 「何それ、嘘つきじゃない」指宿は何故かムキになって言う。 「それがもし、問題になるのであれば。その時は本当に弁護士になってやりますよ」なぜか隼人も意固地になった。 ・ 帰り道の市電の中。 「やっぱり指宿は、お持ち帰りされてるのかな?」 指宿が一駅先に降車したため、川内はストレートな表現で隼人に言い、彼の肩に手を置く。 「なあ隼人どうする?」俺も隼人の肩に手を置く。 「どうして僕に聞くんですか」 「まあ、指宿はそこら辺の客では簡単にお持ち帰りできないか」川内は投げやりに言った。 「それこそ運転手付きのリムジンでもないと無理だよね」俺が言うと、川内は確かに、と笑った。 ・ 週末。天文館の公園で、俺は木の陰にあるベンチに宮崎さんと隣り合って腰かけていた。 地面には、芝生が敷かれアスファルトの照り返しもなく木陰ということもあり居心地の良い空間だった。 ここまで内密にしていたが俺と宮崎さんは交際を始めていた。 勿論、俺と宮崎さんの関係は川内達にも秘密のままだ。 正直敢えて取り上げるような話題ではないし、馴れ初めだって美容室に通う内に打ち解けあったとか、普段の過ごし方だって一緒に映画を観たり、お茶をしたりといった、取るに足らない話しかないからだ。ただ、物語を進行するための都合上、一応説明しておく必要があっただけである。 「というわけで、今度、川内の許嫁に会うことになったんだ」 「結局、許嫁の話は本当なの?私はまだ半信半疑なんだけど」 「俺も疑ってるよ。というか皆そうだよ」 「でも、会ってみたいけどなあ。許嫁さんに」宮崎さんが欲しいものをねだる子供のように言った。 「許嫁さんだけじゃなくて指宿さんや他の皆とも遊んでみたいけど」 確かに、ただ二人だけで過ごすだけでなく、隼人達も巻き込んで楽しく過ごすのも良いかもしれない。 そんな事を考えていたとき、公園の入り口に作業服を着てホウキやヘラなどの道具を抱えた団体が現れた。 「この暑い中、凄いなあ」宮崎さんも彼らに気づき賞賛の言葉を送った。 団体は散開し、各々で公園中を掃除し始めた。 「邪魔しちゃ悪いし、移動しようか」宮崎さんが言い、その意見に賛同し立ち上がる。 すると作業服を着た団体の中の一人が手を振りながら近づいてくる。あれは。 「誰かと思えば霧島じゃないですか」隼人だった。 「誰かと思えば隼人じゃないか」俺はあいさつ代わりに言ったが、拙い事に気が付く。 ここで隼人にデートの場面を目撃されるのはあまり宜しくない事態だ。 咄嗟に自分の身体で宮崎さんを隼人の視界から遮ろうと、足を動かすが、無駄だろう。 「なにしてるの?」宮崎さんは冷たい口調で言う。 「なにしてるんですか?」隼人は首を傾げる。 「いや、何というか。なんとなく恥ずかしいし、隼人達には内緒にしてたし」俺は慌てて弁明し、無意識のうちにいびつな手振りも交えていた。 「なにそれ?」宮崎さんがムッとした様子で言う。 「お二人の関係の事ですか?それなら知っていますよ」隼人があっさりと言う。 「え?」隼人よ、どうして知っている? 「なんで内緒にしてたの」疑問の解消が出来ないうちに宮崎さんに詰め寄られる。 「恥ずかしいし。川内に知れたらうるさいだろうしさ」俺は仕方なく本音を明かす。 「たしかに、そうかもね。川内君はそういう話に目がないからね」宮崎さんの顔にいつもの笑みが戻る。案外すぐに納得してくれたようで俺もひとまず安堵する。 「なあ、隼人はどこで情報を仕入れたんだよ」あらためて尋ねる。 「川内から、お二人の密会の目撃情報を教えてもらいましたからね」密会と言う言葉になんだか妙な卑しさを感じてしまう。 「ということは皆、知ってるのか」 「確証はないみたいですが、今僕の中では確証に替わりましたよ」 彼の言葉に開口し、溜息を吐きそうになるが、流石に宮崎さんに失礼だと思い、口を閉じる。 ・ 「それにしても隼人君、久しぶりだね」話が一段落したところで宮崎さんが隼人に言った。 「ご無沙汰しております。その節はお世話になりました」 「たかが、散髪くらいで大袈裟だよ。そもそも切ったのは私じゃないし。だけど、あの時以来一度も来てくれてないし、髪も大分伸びてるみたいだから、またおいでよ」 「検討します」 「隼人は例の掃除のバイトか?」 「そんな所です。ですがね、ただ掃除をするだけでは終わりませんよ」 どういうこと?と俺と宮崎さんが尋ねる。 隼人は背負っていたリュックサックを漁り、空の瓶を取り出す。 なにそれ、俺達は再び尋ねる。 「この中にね、掃除の最中に集まった火山灰を詰めるんですよ」彼は誇らしげに話す。 「お土産屋とかに売っている奴だ」宮崎さんは語調を高めて言う。 「霧島と同じで話が分かりますね、さすが霧島の彼女です」 俺は手を横に振り「いや、俺は分かってない。店で灰が売ってあるのは分かるけど。隼人の目的はよく分からない」と否定した。 「宮崎さんの話した通り、火山灰を瓶に詰めて売り物にするんですよ。街中を掃除することでバイト代に加えて、火山灰でも儲ける。まさに一石二鳥ですね」 「火山灰の売買って、許可とかが必要じゃないのかよ」 「まあ、グレーゾーンですね。灰だけに」そう言うと彼は満足そうな顔をして、作業へ戻っていく。 「笑えないよ、普通に違法だ」 「やっぱり、魅力的な人だね」宮崎さんは目を輝かせる。 「そうかな」魅力的、という言葉は過大評価だと思った。 ・ 天文館通駅で宮崎さんと別れた後、スマートフォンを開くと川内からのメッセージが表示されていた。 《雅通りのアポロ前で待つ》 俺は天文館や大学近辺の地理はある程度把握できるようになっており、指定された場所までここから徒歩十分程度だった。 集合時間までコンビニやCDショップで時間を調整しながら約束の場所に出向くと、作業服を着た隼人が立ち尽くしていた。 「おお、霧島も呼び出されていましたか」 「ああ。川内は相変わらず遅刻か」 「そのようです」 俺は時計を確認する。今日は何分遅刻だろうか。 「そういえば今日のニュースで、またドローン男が現れたって。今度は昼間に霧島たちと会った公園の近くだそうです。惜しかったですねえ」 「そうなのか」何が惜しいのか分からないが、隼人のドローン男に対する思い入れは伝わってきた。 「鹿児島市役所や県庁も警備体制を見直すそうですよ。霧島の言った通り、まだまだ対策が甘かったようです」 「俺が言った通り?」どういうことだ? 「そうですよ?首相官邸にドローンが侵入したとき、ウチの職場も警備体制が甘いと、市役所に勤めている霧島の親戚が話していたそうじゃないですか」 「本当に俺が言ったのか?」親戚と同様の会話をしたことは事実だが、隼人に話した記憶がない。 「そういえば、あの日霧島はひどく酔っていましたね。お酒の勢いでペラペラ話してしまったんでしょう。飲みすぎには気をつけた方がいいですよ」 「ああ、気をつけるよ」本当に、注意しなければいけないな。 その後も隼人とドローン男について話に花を咲かせていると、川内が「悪いね」と言い、全く悪びれない表情で登場した。 「遅いですよ」隼人が言う。 「今日は、何の呼び出しなんだ?」川内の遅刻を指摘してもキリがないため、俺は話を進めた。 「指宿の職場が見つかったんだ」川内が言う。 「え、そうなの?」 指宿はこれまで水商売に励んでいることは話していたのだが、職場の所在に関しては頑なに隠していた。 「大学の奴らが偶然見つけたみたいでさ」 「指宿の職場を見つけたことがそんなに凄いですか?指宿だって秘密にしたいことはあるでしょうに、それをわざわざ暴くんですか」隼人が気を悪くしたように言った。 「でもあいつの職場には興味あるだろ」 隼人の言う通りだったが、川内の言い分も一理あり、大学のアイドルとも言える指宿の職場には全学生が興味を持つ筈だ。 「それで、場所はどこなんだ?」 「そこだよ」川内は目の前を指さした。 川内が示す先には小さなビルがあり、バブル時代を感じさせるような青光りのネオンが『フルムーン』という文字を浮かび上がらせている。文化通りの風俗店のように店先にスーツ姿の呼び込みは居なかったが、代わりに黒塗りのセダンが数台駐車してあった。 「じゃあ行くか」 「え、この店に」 「そうだよ、まあ金は心配しなくていい。俺が持つよ」 「それは、駄目だろ」 「大丈夫、俺仕送りは多い方だから」 「親の金で行くんですか」隼人が言う。 「かじれる脛はかじれって言うだろ」川内が調子よく言った。 「そんな言葉はない」川内の羽振りの良さは、親の仕送りによるものだったのか。 「まあ気にしないでついてこいよ」 「でも俺、キャバクラとか初めてなんだけど」 「やっぱりか」彼はブハッと笑う。 隼人は好きにすればいいという様子で不機嫌そうな顔をする。 「じゃあ気を取り直していくぞ」 俺達は『フルムーン』の店内へ続く扉の前へ歩み寄り、川内が扉に手を掛ける。 その時、「君たち、久しぶりだね」背後から声を掛けられた。 |
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