『戦の支度』

 

 田守を見送ると、俺はすぐさま携帯で時間を確認する1810分。指宿のシフト次第では間に合うか、否かの瀬戸際だった。

 携帯を手に取り、一か八か指宿に電話を掛ける。

 空しくコール音が響いていき、やがて留守番電話のメッセージに繋がる。

 拙い。得体の知れない不安に襲われる。

 どうすればいいのか分からない。脳内すべての血管に塊が詰まり、思考の機能不全に陥ったような呆然とした気分だ。

 解決策を見出せず、半ば混乱した状態で隼人に電話を繋いだ。

 出てくれよ。

「はい」わずか3コールばかりで、彼は応答した。一先ず安心する。

「隼人、バイトか?」

「違いますけど、別の仕事中です」

「別の?」

「この間も話したと思いますが。火山灰集めですよ」

「そんなことしてる場合じゃない」俺は田守から聞いた情報を伝える。

「しかしですね、こっちだって深刻ですよ。いつ原発が再稼働してもおかしくない状況ですからね」

 正直彼の危機感には同調できないが、原発関連に対しての理解もないため、俺はその意識を無下にもできず、何も言い返す言葉がなかった。

「前も聞きましたが、指宿が助けを求めたんですか?」

 彼の言う通り、指宿が助けを求めることはなかった。だが仮に彼女が助けを求める状況にあったとしても、誰かに救いを請うとは思えない。否、何にしても

「指宿が社長のものになるのは、あいつがどこか遠くに行ってしまう気がしてさ。俺は嫌なんだよ」

「勝手ですね」

 そうだ。自己中心極まりない話だった。だけど今、俺達四人の誰かが離れ離れになるのは我慢ならないことだった。その旨を隼人に伝えると「霧島らしくないですね」と言った。

「ああ、俺は変わってきたのかもしれない」本当に俺はどうしてしまったのだろうか。

「でも、そういうのは嫌いじゃないです。だけどね、僕は火山灰を集めて沢山の人を救いたいんですよ。それに助けに行くなら霧島だけでもなんとかなるでしょう」

「指宿を連れ帰れるのは隼人じゃないと無理だ。指宿が隼人に好意を抱いてることくらい、気づいてるだろう」

「なんですかそれは」本当に気づいていないのか?いや、そんなことより。

「友達一人助けられない男がどうして沢山の人を救えるっていうんだ」いつの日か聞いた指宿の言葉を模倣する。

「鹿児島市を鹿児島都に変える奴が友達一人助けられないでどうする」

 隼人は、フンと鼻を鳴らして沈黙した。

 そして、仕方ないですね、と言った後、「ドルフィンポートの噴水前で待ちます」と続けた。

 ドルフィンポートって何だ?

 携帯で経路を検索しながら、バスを利用して何とかドルフィンポートへ辿り着いた。

 ドルフィンポートとは集合型の商業施設らしく、飲食店や雑貨屋など様々なテナントが軒を連ねている。降車した駐車場側からは肝心の噴水が見当たらず、とりあえず施設内へ入る。案内に従い施設の裏側へ回ると大型フェリーの船着き場と、竦みそうになるほどの圧倒的な存在感で錦江湾越しに聳える桜島が現れた。桜島に目を引かれ発見が遅れたが、すぐ近くに噴水があると気づく。

 噴水の目の前で隼人は太々しく腕組をして立ち尽くしていた。

「遅いですよ」

「経路が分からなくてさ。それにしても、どうしてここなんだ?」

「すぐに分かりますよ」そういうと、彼は踵を返し船着き場の方へ歩き始める。俺は慌てて彼の後を追った。

「何でスーツなんだ」隼人が身に纏った、以前見たときより皺の入ったスーツを指摘する。

「僕の勝負服だからです」どうやら、やる気は出してくれているらしい、一先ず安心する。

「さっきの話ですが、指宿が好意を抱いてるとかどうとか。あれは本当ですか」

「本当に気づいてないのかよ」

「僕は鈍感な方なので。まあ、どちらにしてもその気持ちには答えてあげられませんが」

「そうか、残念だ」普通ならば何て勿体ない、と声を上げるところだが相手は隼人である。特別驚きはしなかった。

「どうして霧島が気に病むんですか」

彼はそういう言った後、立ち止まる。

「着きましたよ」

 隼人が立ち止まった場所はフェリー乗り場のすぐ手前だった。まさか今からフェリーに乗り込むつもりではあるまい。そう思っていると、彼は息を深く吸い込む。

「桜島よ、僕に元気を分けてくれ」

 隼人の雄叫びが周囲に響き渡る。途端に周囲の人々の視線が集中し、ざわめきだす。

「どういうつもりだよ」俺は今すぐにでも逃げ出したい気持ちに駆られる。

「さあ、霧島もやってごらんなさい」隼人が諭すかのように言う。「そんな、無理だ」

「霧島のお願いを聞いたんです、僕の頼みを聞いてくれてもいいと思いますがね」

 筋の通った提案に、うう、と唸ることしかできずにいると「力を貰えますよ」隼人の追及から逃れられないと悟り、俺は覚悟を決めた。

「桜島よ、俺に力を分けてくれ」俺は丹田に力を込め、叫んだ。

 その瞬間。

 俺は眼前に立ちはだかる桜島の地響きと火山活動のエネルギーを感じ取り、俺の身体は共鳴を始め、血圧と脈拍数が上昇し体内の奥深層から不思議と力が湧いてくる。

 なんてことはなく、残ったものは数多の歩行者から浴びせられた視線に堪えられず生まれた膨大な羞恥心のみで、居たたまれずに俺はその場を走り去った。

「ちょっと、霧島。どこにいくんですか」

 俺と隼人はフルムーンの前に到着する。相変わらず年季を感じるネオンの看板を見上げた。

「じゃあ、行きますか」

 俺は携帯で時間を確認すると、川内へ宛てたメールの返信が入っていることに気づく。

「川内はバイトで間に合わないみたいだ」

「そうですか」

 頼りは隼人と、心許無い数枚の紙幣のみになった。

「では入りますよ、ヒビト」

「了解だよ、ムッタ」

 俺達は宇宙兄弟になりきって月面に着陸。ではなく、フルムーンへ入店する。

 扉を開けると狭い階段が待ち受けていた。そこを昇ると、受け付け係だろうか、タキシードを着た男性が立っている。

 彼はこちらを向いて深々と頭を下げる。

「いらっしゃいませ。ご指名は御座いますか?」彼の問いかけに、「指宿を」と答えると彼は首を傾げた。

 俺は思い当たる。源氏名。水商売に努める女性は決まって別の名前を持っている。所謂、源氏名を使うのだった。

 当然、本名を彼に伝えたところで、案内してもらえる筈がなかった。仕方なく俺達は50分間で相手が数回入れ替わるフリーのシステムを選択し、指宿が現れることに賭けた。

 料金は後払いと伝えられると、ボーイが扉を開け席まで案内される。

 店内はそれなりに広く木製のテーブルやカウンターが置かれており、控えめの灯りも相まって落ち着いた雰囲気を醸し出していた。席へ向かう途中にすれ違ったホステス達の中に指宿の姿はなかったが、皆露出の高いドレスを身に纏っていた。指宿もまた同様に淫らなドレスを着ているのだろうかと、妄想が膨らむ。

「社長が店を貸し切りにしてる可能性もあったけど、大丈夫だったな」

「本当に行き当たりばったりなんですね。それに指宿が来るかも分からない」

「まあ、店を見渡して指宿を探すから、隙をみて声をかけるよ」

「そんなことできませんよ、婚活パーティなんかと同じにしないでください」

 隼人の言う通りだが、他に方法は思い浮かばない。

 とにかく俺達は運良く指宿が来るのを待った。

 こんにちは、と簡単な挨拶で最初に現れたのは二十台後半くらいの愛嬌がある丸顔の女性だった。りんごです、と名前を告げられる。

 釣られて霧島です。と返事をするとクスクスと笑われてしまった。

 俺が困惑してる様子を察したのか「いきなり自己紹介をされたのは初めてだから」といいながら、笑い続けている。

「こういう店は初めてなんですよ」

「やっぱり、そうなんですねえ」どこか身に覚えのあるやり取りだ。

 水割りで良い?と聞かれ頷くと彼女はグラスを手に取ると直ぐに氷を入れ、焼酎を注ぎ水を足していく。手際が良いなと思っていると「君、大学生だよね?店にも三人くらい居るよ。その中でもすみれちゃんは凄い美人でさ、大学の教授とか会社の社長に支持を受けてるんだよね」と言った。

 『すみれちゃん』というのは指宿のことかもしれない。隼人も指宿の事だろうと思ったのか、ふうんと言った。しかし今さら名前が分かった所で追加の指名料を払う予算はなかった。

 りんごさんは溌剌とした調子で「もう一人のお兄さんは?」と隼人に声をかける。

 先程から退屈そうな態度を取っている隼人だったが、彼女に声を掛けられた途端に普段の調子で長々と講釈を垂れ始めた。俺はすっかり慣れてしまったのだが、免疫のない彼女は次第に表情が曇り始め、作り笑顔も限界を迎え、引き攣った表情をし始めたころ、別の女性が現れ、交代する。

 どうやらホステスは10分前後で交代するらしく、ホステスが隼人の洗礼を受けては逃げるように去っていく状態を繰り返し、入店から30分ほど経過した。しかし、一向に指宿を見つける事ができず徐々に焦りを感じ始める。

 俺達の席に交代で現れたホステスに続いて、ボーイが隣のテーブルに立派なスーツを着た30代程度と視られる男性客を案内した。そしてボーイが「すぐに参ります」と告げる。

 俺達がホステスの自己紹介を聞いている途中、隣の席に現れたホステスは視界の隅に置いただけで、思わず目を引いてしまう程の存在感を構築した女性だった。形容しがたい柔らかな雰囲気を持ち、黒いドレスに身を包んだその女性は、紛れもない指宿だった。俺は夢中で話し続けている隼人を肘で小突き合図を送るが意に介していない。

 彼女は俺達に気づいていないようで男性に向けて普段見ることのない笑顔を向けており、そんな表情もできるのかと驚いた。

 それにしても、丁寧に化粧を施し、スカート丈は膝より高く、胸部が強調されたドレスを着て色香を漂わせた指宿は、ただ、眩しかった。

 彼女は持ってきたおしぼりをテーブルに置き、男性の隣へ移動する。その途中、指宿は俺達の方へ視線を向け、一瞬動作が止まる。「あ」と指宿が言い、何事かと隼人が振り向き、「あ」と言った。

 男性客は「なに?知り合い?」と訝しげな表情をして言う。

「まあ、そうですね」指宿が答える。二人のやり取りを見る限り初対面の間柄ではないようだ。隼人の相手をしていた、みやびと名乗る女性は、そうなんですねえと感情の籠っていない様子で言う。

「今日は早かったんですね」指宿が言う。

「冷たいことを言うね。君と約束をしてたから、切り上げてきたんだよ」男性が答えた。

 この人は。

「おい、例の社長だぞ」隼人に耳打ちをする。

「本当ですか」

「間違いないと思う。根拠は風貌と会話の内容だけだが」

「そうですか。まあ指宿の様子次第で、手を出すか決めますね」

 なんだそれは。ここまできて、せっかく指宿が現れたというのに何もしないつもりか。

「本気かよ」俺が聞くと、「本気です。指宿自身は社長と結ばれることを望んでるかもしれない。それに指宿の僕に対する好意は霧島の勘違いかもしれないですし」

 それは勘違いではない。

 確かに彼女は無表情で感情の起伏も小さい無機質な奴かもしれない。それでも隼人に纏わる指宿の数々の言動から汲み取れるものは、紛れもない隼人に対する好意である。

「大丈夫ですか」みやびさんが尋ねる。

「ええ、問題ありません」と隼人が言い、講義を再開した。

 一方、指宿もこちらには無関心という様子で社長と会話をしている。仕事とはいえ、隼人の事が気にかかるだろうに。

 俺達の席にボーイが現れ、みやびさんの耳元で囁くと彼女は手を振りながら席を立った。恐らく最後の交代だろう。終了時間が迫っている中、隼人は呑気に水割りを呷っている。

 俺が行くしかないのか?

「だから言ってあげたんだ。君たちの方針では大成しない。起業したとして、二期も持たないよってね」

「厳しいですね」

 話し相手が居なくなり隼人が大人しくなると、男性と指宿の会話が鮮明に届くようになった。

「不景気なこの時代でも起業を目指す大学生はまだまだ多いんだ。私の講演に来る学生はね、せいぜい学生ベンチャーの真似事に留めておいた方がいい場合が殆どだよ。ゆとり教育の弊害だ、何だと漠然としたカテゴライズをするつもりはないけどね。自分の事を特別視してしまっている夢見がちな学生が多くて困るよ」

 話の内容から察するに、やはり噂の社長であることは間違いないようだ。それにしても、隼人の怒りを買いそうな話だ。いや俺自信、わずかばかりではあるが不愉快な気分だった。指宿も、同じじゃないのか?

 社長の発言に関して隼人に声を掛けようとした途端、彼の顔が視界から外れる。

「どうしたんだよ」

突然腰を上げた隼人に尋ねるが、返事はなかった。

 丁度、俺達の席に向かっていたホステスは何事かと足を止める。

 隼人は指宿達の座る席へ身体を向ける。

「黙って聞いていれば生意気な!」隼人はそう吐き棄てた。

戻る

若樹先生に励ましのお便りを送ろう!!

                                             



inserted by FC2 system


inserted by FC2 system

inserted by FC2 system