『戦の始末』

「生意気な!」

 隼人の怒号が轟く。その瞬間、時が止まったと錯覚するほどに店内のあらゆる動作と音が消える。

「隼人、止めとけよ」俺は隼人の元に駆け寄り制止するも手遅れで、ボーイが集まってくる。

入学以来、三度目の強制退場だ。などと悠長なことを考えている場合ではない。

ボーイたちは隼人の前に立ち、今にも飛びかかってきそうな姿勢をみせる。

「何のつもりですか」ボーイの一人が言う。

 このままでは一巻の終わりだが事態を打破する手段は到底思い浮かばない。

 指宿は解せない様子で隼人を睨んでいる。

 一方で、社長は水を差された怒りに顔を歪めるでもなく、どういう訳か涼しい笑みを浮かべていた。そして彼は、「物騒な真似は止してくれ」とボーイを制止する。これまたどういう訳か、ボーイ達はそそくさと退散していく。この店は社長に何か弱みでも握られているのだろうか。

 ボーイたちが各々の仕事に戻り、店内が再び動き始めたころ。

 社長は「君、一緒に話でもどうだい?」と、隼人を自分の席に誘う。

「貴方と話す事なんてありませんよ」隼人が吐き棄てる。

「そう言わずに、友達も一緒にさ」そう言って社長は俺に視線を向ける。俺は社長と目が合った瞬間、理解した。社長は店側の弱みを握っているわけではない。

 この男は持っているのだ、他者を掌握する力を。それは特別な挙動は必要とせず視線を交わすだけで相手を制圧してしまうほどの物で、身なりや立ち振る舞いなどといった、可視化されているものでなく社長を構成する大小あらゆる要素がその力を創生しているのかもしれない。彼の先程までと何ら変わりない微笑も、角度が変われば随分したたかなものに見える。なぜ隼人はこの男にひるむことなく、立ち向かえたのか。

 俺はすっかり萎縮してしまい「話に乗らないと俺達は退場だ」と隼人に対し無意識に発していた。隼人は「それもそうですね」としぶしぶ引き受ける。そして隣り合って座る社長と指宿に対して男二人が並ぶ奇妙な構図になった。

 俺が指宿に目を向けると、彼女は「なにしてるの?」と音を出さず口を動かした。

「私の話が気に入らなかったかな?」指宿の問いに答える間もなく社長は言った。

「ええ、心底不快ですよ。貴方に夢見る大学生の何が分かるっていうんですか」

「分かるさ。私だって昔は大学生だった。そして起業し失敗した同世代の人間を何人も見送ってきた。つまり、どんな人物が成功し、はたまた失敗するのか。起業に必要なマーケティング力や経営力それ以前に、リーダーとしての素質があるのか否か、私には分かる」

 社長が巧みにジェスチャーを交え、話を進める姿は思わず目を惹かれる。この引力こそ彼が企業の長として成立している所以なのだろうか。

「その素質が貴方にはあるんですか?」しかし、隼人は臆すことなく食らいつく。

「そう問われると、ある。そう答えざるを得ないよ。現に私は一つの会社の経営を軌道に乗せている訳だからね。だからこそ、その人が成功するかどうか位、分かるのさ」

 社長が言うと隼人は溜息をつき、「そうですか」と零した。

「では貴方から見て素質がない人間は何をしても成功しないと断言するんですね」

 断言という単語に引っかかるのか、社長は一時口を閉じ思案した後、「そうだよ」と答える。

 すると隼人は、ふんと鼻を鳴らす。

「例えSTAP細胞の存在が認められても、オアシスが再結成しても沖縄から米軍基地がなくなったとしても、貴方は素質のない人間が成功する事はないと言い切るわけですね」

「そこまでは言ってないだろう」社長はわずかに語気を強める。

「もういいです。指宿も大概ですよ、こんな人と遊びに行くなんて」

「何言ってるんだ」指宿に喧嘩を売ってどうする。流石に見兼ねて隼人を制止する。

 すると指宿のグラスを拭いていた手が止まり、そのままグラスを勢いよくテーブルに叩きつけ、鈍い音が店内に響く。

「どうしてそんな事言われなきゃいけないのよ。私だって」そういうと彼女は口をつぐむ。俺にはその先の言葉がなんとなく分かる気がする。しかし、「私だって、何ですか」隼人は空気を読まずに言う。「いい加減にしろ」俺は慌てて隼人を抑える。

「知らない」指宿は口を閉ざした。

 俺達の席に沈黙が訪れる。何故こんなことに。

 間もなくして異変に気づいたのか、ボーイが再び席に現れた。すると指宿は「大丈夫です」と言った。彼女の最後の情けだろうか。しかしボーイはそのまま立ち尽くし「いえ、御二人様は終了の時間になります。延長はなさいますか?」と言った。

 隼人と社長の危ういやり取りのせいですっかり失念していた。

 指宿を取り返すどころか、険悪な空気を作って終わった。とはいえ俺は何もせず座っていただけであるため、隼人を責めることもできない。

「いえ、大丈夫です」俺は完全に意気消沈し、指宿に別れの言葉も言わず席を立つ。

「僕はまだ言い足りないことがありますよ」

「そうか。最初は君たちの代金を持つつもりだったけど」社長が溜息をつきながら言い、続けて「これ以上、この娘への暴言も見ていられないし、ここまで失礼だとね」そう言って社長は指宿の肩に手を置く。

 席から動かない隼人を見てボーイ達が隼人の両腕を固める。ただ迷惑なだけでなく金も持たない客に容赦はないのだろう。彼を強引に引っ張り始める。

 終わりだと思った。隼人が不満に感じているように社長には傲慢な印象を受けるところもあるが、決して悪人というわけではなく、紳士的な立ち振る舞いをみると、むしろ好印象だった。例え指宿が彼の男になったとして、それは指宿にも良いことなのではないか?

 そんな言い訳を頭の中で繰り返しながらも、指宿が最後に言いかけた言葉が未だに気掛かりだった。

 

 客観的に見て俺達は突然現れ、一方的に暴論をぶつけた無礼極まりない連中で、指宿達の心証を著しく損ねる当然の結果が待っていた。今後指宿との亀裂を修復することはできず、何となく俺達は疎遠になってしまうのではないか。そんな不吉な予感、いや、最早すぐ目前まで迫る現実が脳裏を過ぎる。

 いつの間にか隼人は先に入り口手前まで引き摺り出され、渋々と財布を取り出している。俺も仕方なく財布に手を伸ばす。

 ここまでか。いよいよ打つ手なしだ

 

 俺達が支払いを済ませたとき、「いらっしゃいませ」とボーイの声が聞こえる。丁度別の客が入店したようだ。

 入り口はレジから狭い通路を隔てた先にあるため、振り返らずに道を空ける。すると背後から「よお」と声をかけられた。

 釣られて俺と隼人は振り返る。

「来てやったぞ、お前達。俺がわざわざ来てやったぞ」川内はお得意の嘲るような笑みを顔に張り付けていた。

「ブライアン!いや、川内じゃないですか」隼人がいまにも飛び跳ねそうな勢いで言った。

「なんだって?」川内は首を傾げると「こっちの話ですよ」と隼人が言った。

「それより、指宿はいたのか」

「ああ、だけど金が尽きて間に合わなかった」

「そうか、じゃあもう一度行くぞ。金の事は心配するなよ」

「そんな悪いですよ」隼人が言う。

「馬鹿。指宿を連れて帰れるのは隼人だけだろ」

「霧島と同じことを言うんですね」隼人は不思議そうに言った。

 騒ぎを起こした俺達は出入り禁止ではないかと危惧したが、社長の対応のお陰だろうか、金を工面できたと伝えるとすんなり入店できた。

「行くぞ」川内が

「五分で済ませますよ」

 また騒ぎを起こすつもりじゃないだろうな。しかし、そう悠長な事は言っていられない。

「せっかくなんだからゆっくりしてこうぜ」川内は口惜しそうに言う。

 そうしている内に、俺達は未練を置いてきた同じ席へ再び案内された。

「これは偶然同じ席ですね」

「他に席がなかったんだろう」

 社長が気付いたようで、怪訝そうな表情を作る。

「やはり言い足りないことがあったので舞い戻ってきましたよ」席に座る前に隼人が言う。

「そんなに怒らせることを言ったかな」社長が言う。

 指宿は言葉こそ出さないが、相変わらず険しい顔をしている。

「おい、指宿、怒ってないか?」俺に尋ねてくる。すまない。心の中で川内と指宿に詫びた。

「先程は少し感情的になりすみませんでした。指宿にも不愉快な想いをさせてしまったことをお詫びします」隼人は立ったまま話し始める。

「元々、ここに来たのはね。指宿を狙っている男がいると聞いてどんな人物なのか見に来たんですよ。でもね、こんな人とは残念です」

「反省していると思えば、すぐに侮辱するつもりなの?」我慢の限界か指宿が口を開いた

「指宿、本当は嫌なんですよね?」

「なんなのよ」彼女は呆れた様子で言う。

「僕は黙って見過ごすわけにはいきません」

「だから、意味が分からないってば」指宿はいつになく感情的になっていると思った。

「では社長さん。最後にもう一度だけ尋ねます。本当に貴方は素質がある人とそうでない人がいると思っていますか?」隼人は指宿の言葉を無視して、社長に言葉を向ける。

「先程話した通りだ。だけど君は少し勘違いをしていると思う。誤解の無いように言っておくよ。私の言う素質とは、あくまで起業に関する物であって、その素質がない人間を全面的に否定している訳では決してない。ただ分相応な行動をするべきである、そう言いたいんだよ」

「分かりました」隼人はそう言って、一時口を閉じる。そして「やはり僕は容赦できません」そういうと、隼人は手を伸ばし指宿の腕を掴む。

「貴方に指宿を渡すぐらいなら僕が指宿を独り占めさせてもらいます」

「おい隼人、騒ぎは起こすなって」俺は制止するが、心の底では彼を支持していた。川内も同じだろう。

「なんのつもりだ」社長の言葉が荒くなる。

「素質だ、分相応だと偉そうに。そんなに社長が偉いんですか」よく言ってくれた。

「ただの大学生よりは幾分かね」社長は平静を乱したのか、隼人の言葉を正面から応酬する。

「僕から見るとね、貴方もただの社長ですよ。さあ指宿行きますよ」

「行くって、どこに?」指宿が言う。

「帰るんですよ。その後は、いつものコペルニクスにでも行きましょう」

「まじかよ」川内が言った。指宿は「そう」と一言いうと、初めて笑顔をみせた。

 咄嗟に社長は指宿の空いた方の手を掴んだ。

「聖木さん。ごめんなさい」指宿は社長に言った。

 社長は隼人と指宿を交互に見つめた後、「そうか。面白い友達がいて羨ましいよ」皮肉を込める訳でもなく微笑を崩さずに言い、指宿の手を放した。

 途端に隼人は指宿の手を引いて駆け出した。慌てて俺達も後を追う。ヒールを穿いている指宿は走りにくそうであるが何とか入り口に辿りつく。

 ボーイ達は他の仕事に追われていたため、遅れて異変に気付き駆け寄ってくる。

「川内、代金だけでも置いていこう」

「それもそうだな」と言い。慌てて財布を開く。「多めに置いていこう」川内なりの償いだろう。後で十分に謝礼をしないといけない。

 入り口の扉を開け、階段を駆け下りる。追ってくる様子はないがのんびりしている訳にもいかず、再び走り出し俺達は天文館の人混みへ溶け込んだ。

 俺達は汗だくになりながら近くの公園に駆け込み、一先ずベンチに腰掛けた。

「指宿。今更だけど、よくついてきたな」少しづつ息を落ち着かせると、川内が言った。

「嫌だったけど。社長の事も少し嫌だったし。まあ本当に嫌ならあの場で助けを呼ぶなりするよ」皆まで聞くなという事だろう、指宿は曖昧に答えた。

「どっちなんですか。まあ、すみませんね。無理やり連れだして」さすがは隼人と言うべきか、空気を読まない発言である。

「まあ、あえて言うなら」指宿は笑みを浮かべて、「なんとなく嬉しかった」と言った。

結局、そういうことか。俺と川内は納得したと顔を見合わせる。指宿、やはり君は。

「嫌だったのか、嬉しかったのかはっきりしないんですね」隼人は不機嫌そうに言う。

 隼人の鈍感さに俺と川内は項垂れる。

「罰当たりだ」川内が隼人の頭を叩いた。

「それで、二人は付き合うことになったの?」

 宮崎さんは絵本の続きをせがむ子供みたいに目を輝かせ言い寄ってくる。

「交際にはつながらなかったみたいだけどね」しかし、指宿の気持ちをよく理解できた。

「その後四人で店に謝りに行ってさ。社長はもう居なかったんだけど、どうやら全く怒ってなかったみたいで。どういう訳か俺達の事を許すように懇願してくれたらしい」

「社長はやっぱり良い人だったんだね」

「うん」今回の出来事で一番の善人は彼だろう。やはり社長には到底敵わない。

「社長のおかげで助かったよ。勿論、店長にはこっぴどく叱られたけどね。経営者が極道の人だったら危なかったかも」

「本当だよ、指の一、二本なくなってたかもね」

「本当に」

「以前の霧島君ではありえない行動だよ、隼人君のお陰で人間らしくなれたね」

「どういう意味?」

「さあ」彼女は惚ける。でも、その通りかもしれない。

「指宿は減給だけで済んで、俺達は何の御咎めもなし。甘すぎるぐらいだよ」

「停学くらい受けるべきだ」宮崎さんは意地悪く言うが、その通りだと思った。冷静になってみると、それ程に非常識な行動であった。

「結果的に指宿は誰の彼女にもならなかったわけで。結果だけ見れば、俺達が動く意味はなかっただろうし。ただ迷惑をかけただけだったよ」

 俺は、今回の行いを懺悔するつもりで言ったのだが、当の神父役は陽気な笑みを浮かべ、「青春だねえ」としみじみ言った。

 幸運が重なり無事で済んだものの、一歩間違えれば大変な事態になりかねない危険な行動であったし、周りに迷惑をかけた割に何とも結果の実らない出来事であった。それでも俺達の関係は徐々に深くなり、今ではかけがえない物になっていた。なんて自分らしくない事を考えていたりする。

 他にも川内の誘いで串木野の海へ出かけた際、隼人が地元のサーファーと結託し、マナーの悪い不良と戦った出来事も印象深いのだが、話の筋に合わないので多くは語らずにおく。

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